気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年5月31日火曜日
アウトレットパークは高天原
三井アウトレットパーク多摩南大沢のアパレルのお店から、伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)の化身のお二人がでて来られたのである。
まあ、神界にシロートの皆さんには見えなくてもあたしにはそのお姿がありありと見えるのである。
えーと、この店はなんてえ店だっけかね、まあ、いいや、とにかく、イザナギ・イザナミのお二人がお歩きになるので、あたしももちろんついて行ってみるわけである。
この二柱(ふたはしら)の神々についていけば、必ずや神々しい光に包まれたナイスな昼飯をゲットできるに違いないのである。
なーにしろゲットであるのである、ナイスでゲットであるのである。
ところが、ごらんなさい、お二方は神々だけにあっというまに昇天してあたしの前から消えてしまったのである。
お買い物を済ませたので、神界にお帰りになってしまったわけである。
しかし、アウトレット高天原には八百万(やほよろず)の神々がお買い物に集まって、天宇受売命(あめのうずめのみこと)も、ちまきの矛につけた神器の五十鈴(いすず)を打ち鳴らし賑々しく踊っておられるのである。
ああ、これで、ご神力とご稜威を願われた天照大御神も天岩屋戸を押し開き天地に光をあらいやんするのである。
ううむ、あらいやんなんて言ってるから神々が消えて、もの寂しい通りになってしまったのである。
こうなったら、大祓詞(おおはらえのことば)を奏上して八百万の神々を高天原へ呼び戻すのである。
なにしろ、やほよろずのかみがみであるのである。
なんにも考えてない文章であるのである。
高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以て 八百萬神等を神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜(ひたかまのはらにかむづまります すめらがむつかむろぎ かむろぎのみこともちて やほよろづのかみたちをかむつどへにつどへたまひ かむはかりにはかりたまひ)お好きな方はこの先を調べて唱えていただきたいがあたしはまっぴらごめんあるよ。
まあ、これ、地道に毎日唱えるとけっこう効果ありますので、まあ、そのうち、いらぬところにスイッチが入っておつむのちょーしがヘンになって、いろいろ見えなくていいものも見えるなんてことになる方もおられますが、そうでもない場合の方が多いので、なんでも過剰な期待はなさらずに唱えないよりは唱えた方がよろしかろう程度がよろしかろうてなことであるのである。
まあ、あたしは植芝盛平翁のひ孫弟子でありますので、実際には大本の天津祝詞を唱えるわけであるが、べつに出口さんのカバン持ちつーことでもないのである。
単に言霊(コトタマ)としての効果を鑑(かんが)みてのことであるのである。
ついでに、言霊学まで学べる象原流であるのである。
てなどーでもいい無駄話をしてたら、おおお!ついに神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)の御言(みこと)もちて、かっこいい二柱の神々がさっそうとあたしの前に現れたではありませんか。
ああ、ありがたいありがたい、この際、思いっきり拝んでしまおう。
なむなむ、お手々のしわとしわを合わせて幸せはち合わせ。
バチ当たりますよキミ。
キミってあたし?
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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