気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年5月3日火曜日
大國魂神社・拝殿
さてさて、頼まれもしないのに、見ず知らずのおじさんおばさんお兄さんお姉さんに憑いた邪神邪霊のお祓い大除霊も済ませて、体内の不浄のものも排出浄化して、いよいよ大國魂大神に参拝の運びとなったのである。
拝殿では老若男女がどんどん参拝をなされて大神様のご利益にあやかろうとお子様もご一緒に拝み倒しておられるのである。
あたしだって負けてはいられないのである。
皆さんに混じって怒涛の拝み倒しで大神様の神気を受けてチャクラを活性化させるのである。
まず、何はともあれ賽銭箱に清水の舞台からダイビングの気合いで大枚1千円也を入れて、へてから、ううむ、神聖な拝殿の前でへてからはないか、まあ、いい、とにかく、一揖(いちゆう)して、まあ、一揖てのは軽く礼をするのね、へてから、いや、へてからじゃなくて、先に進まないからまあいい、とにかく一揖してから二拝二拍手一拝して最期に再度一揖するのである。
どうですか皆さん、まず一揖でありますよ、その後、二拝二拍手一拝して、まあ、二礼ニ拍一礼でもいいのであるが、さらに一揖であります。
くれぐれも大神様にしっつれいがあっちゃいけません。
神様ってのはご存知のとおり肝っ玉が小さいですから、ちょっとでも気に入らないとすーぐバチ当てられますから、もう先方様のゆーとーりにやることが肝要であるのでありますよ。
こちらも努力もしないで神頼みでなんとかしようなんてろくでもない輩でありますから、大きなことはいえません。
あたしが神様にはお礼を言うだけで絶対にお願いしてはいけないと口をすっぱくして言ってもそんなこたあ聞く耳もたないでしょうし、どなたも面識も紹介状もない神様に一方的に金が欲しいとかいいおねーちゃんをなんとかして欲しいとか言いたい放題で身勝手なことをお願いするわけですから自分の立場というものをわきまえて粗相のないようにしなくちゃいけません。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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