気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年5月22日日曜日
相模湖大除霊・石のかたらい
通りがかりの作業服のおにいさんに、昼飯を除霊する、よさげな食堂はどこかにないか聞いてみるのである。
「あのー、すいません、この辺にうまいメシ食わせてくれるとこないすかね?」
「ああ、この道を少し行ったとこに、石のかたらいってとこあるけど、あれ和食屋じゃないかな」
あ、さっきトイレの前にバイク置いてた郵便屋さんだ!
神様はあたしに不思議な縁で一瞬のバイクの通過の間に写真まで撮らせてくれたのである。
ああ、人生というものはなにごとも縁(えにし)であるなあと感心してても石のかたらいには着かないのでどんどん先に行くのである。
ううむ、いかにも閑静な小路であるので、石のかたらいがありそうである。
どうも石の霊気が芬芬と感じられるので、石のかたらいは近くにあるのである。
なにしろ石のかたらいであるから、庭石をあしらった庭園が売りの民家風の和食屋にちがいないのである。
会席料理なんかを出してたりして、ようすのいい大島なんかをお召になった女将(おかみ)さんが料理を運んでくるときに着物の裾から色っぽい足首が垣間見えたりして、ううう、たまらん、絶対に何がなんでも石のかたらいで昼飯を食うのである。
おお、ここにが怪しい。
石のかたーい霊気の波動が波浪を巻きあげて溢れてくるのである。
おお、あったあった、まさしくここが石のかたらいであるのである。
作業服のおにいさんのゆーとーりであるのである。
おかみさあああああんっ、象師匠が到着しましたよおおおおおおおおおーいっ。
でも、どーみてもこれ、和食屋でも食堂でもレストランでもないのである。
庭石が好きな園芸マニアの家であるのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
写真サイト
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿