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2011年11月1日火曜日

多摩センター・ハロウィンは牛タン焼と男のもつ煮で生ビール


午後五時になって、スピーカーから蛍の光が流れても、さすがに少し人が減ってきたのであるが、それでもこの大混雑であるのである。


メインストリートの中央からは移動販売車による業者さんのコーナーであるのである。


富士宮やきそばの移動販売車もおられるのであるが、さっき食ったので買わないのである。

なにしろ、たこ焼き、焼きそば、無料のウインナと卵スープ、やきとり、中華まんじゅうと食いまくったので、もう腹一杯でこれ以上とても食えたもんじゃないのである。


韓国料理であるが、これも、腹一杯で食えないので買わないのである。


しかし、この牛タン焼きの看板を見たとたん、あたしの食欲が復活して、胃に隙間ができて、「ううう、これは美味そうだ、絶対に食うぞっ」つーことで、並ぶのが大っキライなあたしが、牛タン食いたさに決死の覚悟で並んで買って食ったらそうとうしょっぱいのである。

ものすごく量が多いなと思ったら、店のおにーさんに寄ると、閉店間際なので、牛たんの量は倍ぐらい入ってるそうである。

うううう、さっきから食ってばかりで、喉がものすごく乾いたのである。


そしたら、いたれりつくせりで、アサヒスーパードライであるのである。

もちろん樽生をぐぐいっと、のどごし爽やかであるのである。

今日はいったい何キロカロリー摂取したんでしょうか。

4000キロカロリーぐらいかね。

ううう、正確に計算すると怖いのでしないのである。


ライスバーガーのおねーさんは品切れなのか店じまいであるのである。


大盛り焼きそばであるが、ううむ、今日の一番いい写真であるのである。

6800円のEXILIMでこの写真を撮る象源流写真術であるのである。

まあ、いいや。


パルテノン多摩のファサードの階段にたくさんの皆さんが座っておられるのである。

そうか、買ったも食い物をここで座って食えばよかったのであるが、もう、立ったまま全部食っちまったのでである。


大学のサークルの皆さんのテントブースであるのである。

経営学部なんてのぼりが立ってるのである。

たしかに経営であるのである。


そしたら、そのひとつで男のもつ煮なんてえことで、これがまた、美味そうな匂いを発しているので、摂取カロリーなんかおつむからどこかに飛んでいって思わず「男のもつ煮を大盛りでください」つったら、ここも閉店間際なので、倍ぐらいの量をくれたのであるが、もう、終わりなのでもつがなくて野菜とこんにゃくばっかりだったのである。


もう、誰がなんといっても食えないので、とっとと帰るのである。

お帰りはあちらであるのである。


Camera : CASIO EXILIM EX-Z330  写真サイト
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2011年4月16日土曜日

多摩センター|ハトに餌を撒くおじさん


まあ、このブログに載せる写真を選ぶ基準はできるだけ「ベタ写真」を避けるということであるのである。

ベタ写真というのは、基本を押さえてマニュアル通りにキレイに撮った「よくある写真」のことである。

新聞や写真誌のコンテストなんかで入選している、間抜けなプロが選んだ「欠伸の出る写真」のことであるのである。

そうはいってもあたしは元来がデザイン系であるので、どうしても構図をガチっと決めてしまう習性があるので、なんとかそれをぶち壊すようなでたらめな撮り方をしたいわけである。


まあ、とりあえずは水平をぶち壊すために水準器をモニターから削除して、さらにヒストグラムも消してあるのであるが、それでも、ほとんがやっぱりベタ写真になってしまうので、出来上がりの写真の9割は削除になるのである。


「記憶にない写真」というのがあたしのコンセプトであるのであるが、ほとんどどれもが記憶にある写真であるのである。

あたし自身が撮ってあたし自身が欠伸をしてしまう写真ばかりであるのである。

なんてことをね。

どれどれ。

Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ

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多摩センター|イトーヨーカ堂前広場


写真というのは写真家の日常であるのである。

たとえば、モデルを撮影しても、それはその写真家の目に写る日常であるのである。


その目に写る光景は写真家の人生であるわけである。

この仕事のついでに撮った写真もあたしの人生の光景であるのである。


つまり、リアリズムであるのである。

あたしがその写真の光景の中に存在し、その時間に存在しているのである。


存在は一瞬であり、取り返しのつかない時間であるのである。

なかなかオシャレね。

うふん。

おおおおお、地震だ地震だ、すごいね、揺れる揺れる、この世のおわりだああああああああっ。

うあああああああっどええええええええっぐええええええええええええええっ。

なんだよ、すごいねどうも。

茨城県鉾田市で震度5強だ。

どんどん東京に震源地が近づいてる。

こりゃ、来るね。

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多摩センター|おじさんとMacとミスドとスタバ




あなたの行動はあなたの意識とはべつものの想念により決定されるのである。

つまり、あなたがやろうとすることはあなたの意識とは無関係であるのである。


自分の意思で自分の人生が決定されていると思うのは無知による奢りであることを理解しなければならないのである。


あなたの意思でものごとが決定されるなら、不慮の死などということは起こらないのである。

どんなに慎重に人生を送っても成ることはなり、成らないことは成らないのである。


つまり、流されて生きるというのが人生の極意であるのである。

自分の意思では何事も成就されないわけであるから、その大本の意思を尊重してそのように流されるわけである。


そのように扉は開かれ、扉は閉じられるのである。

あなたの意思ではないのである。


すべては神の思し召しであるのである。

なんてね。

いいねいいね、すっかりいいね。

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多摩センター|街の色


まあ、できれば写真だけで、言葉は入れたくないわけである。

写真に語らせればいいわけである。


写真は感性であるので、その撮った人間の本質が現れるのである。

これが実に不思議なところであるのである。


同じカメラを使っておなじ条件で撮っても、カメラマンの感性で写りがまったく違ってしまうのである。

精神の硬い人は硬い写真になるし、優しい人は優しい写真になるのである。


写真はその精神状態の露出でもあるのである。

そのときの精神状態を切り取って時空に貼り付けるわけである。


まあ、いってみればカメラ機材はなんだっていいのである。

その精神状態の奔出であるわけであるから、本人の意思とは違った写真でいいわけである。


あとは見るものの精神状態でその写真がまたそれぞれ違って見えるのである。

いいね。

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