気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年5月11日水曜日
府中・伊勢丹前
馬場大門のけやき並木からの伊勢丹前の風景である。
この伊勢丹の周囲に人が集中して集まるのである。
大國魂神社とこの伊勢丹周囲に気の集積があるわけである。
だから、まあ、府中の風水の中心といってもいいわけである。
その気の集積の光を受け、それを写真に撮るわけである。
まあ、なにしろあたしは霊能写真家であるのであるから、まあ、写真を念力で撮るわけである。
念力であるから、シャッターは指で押さないのである。
カメラが勝手に撮るわけである。
シャッターを押してるのはあたしではなくあたしの守り神であるのである。
あたしの守り神つまり守護神はご存知のとおり市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)であるのである。
そのへんの霊能者だのやスピリチュアルカウンセラーだのなんて言い張ってるへっぽこなホラ吹きがのたまう守護霊だの先祖霊だのなんてちゃちなもんではないのである。
なんつっても、あーた、霊ではなく神なんですから。
そらもう、とにもかくにもこの写真は神が撮ってるわけであるから神気も霊気も精気も宇宙エネルギーもカタカムナも止めどなくあふれる写真であるわけである。
これでもかと気が入った写真であるのであるから、それを見たものは丹田もチャクラも大活性するわけである。
このブログを見ているあなたのPCやモバイルは、気の出るPCであり、モバイルであるのである。
この写真を見て、体内活性して細胞がいきいきと活動を始めれば、当然、運気は上昇するわけである。
信ずるものは救われるのである。
信じないものも救われるのである。
じゃあどーでもいいじゃんというものも救われるのである。
あたしは救われないのである。
それはあたしが救うものだからであるのである。
あなたもこの写真から神気霊気の膨大な波動を受けるはずである。
言いたい放題言ったもん勝ちであるのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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