気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年5月2日月曜日
大國魂神社・御祈祷受付所
宇宙の彼方より降り注ぐ天照皇大神のエネルギーを手のひらにいただく皆さんの波動に誘われて集まったものを頼まれもしないのに式神を降神して浄化浄霊除霊して差し上げたらやっぱりトイレに行きたくなったのである。
これはなんでかわからんんが浄霊除霊の後はトイレに行きたくなるのである。
知人の気功治療の大センセイに「なんでか?」と聞いたら、「なんでかはわからんがボクもトイレに行きたくなる」というご意見であるので、まあ、体内に取り込んだ不浄なものをいっしょに体外に出すということであると思うわけであるが、あたしにも理由はわからんのである。
象師匠にもわからないことはあるのである。
神のお筆先でお授けのまま書いてるだけであるので、本人はごくいいかげんな霊能者であるのである。
さて、トイレはどこかと探したが見当たらないので、誰かに聞こうと思ったら、あそこに何やらよろしい香りがなさるのである。
おお、あの巫女さんに聞いてみるしかないのであるが、ううむ、巫女さんにトイレの場所を聞くのもなんであるが、しょーがないのである。
ううう、妙齢のお嬢さんではありませんか。
この人にトイレの場所って、恥ずかしいが他に聞く人もいないので聞くのである。
それで、とにかく「あのー、すいません、トットットイレはどこでありましょうか」と聞いたらば、「あちらの社務所の建物の裏です」と教えてくれたのである。
当たり前である。
知りませんなんていうわけはないのである。
それで、ものすごく遠い社務所の裏の奥にあるトイレであるのである。
さわやかに憑依霊地縛霊浮遊霊などといっしょに水洗のお水で流して、身体をすっかり清浄に戻してさて、改めて大神様の前に参るのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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