気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年5月22日日曜日
相模湖大除霊・御供岩
ただならぬ霊気神気の波動はこのご身体の岩と鳥居であったのである。
鳥居は結界を造りその先は神界であるのである。
鳥居の中に入ることは神の世界に入るということであるので、心構えをきちんとして身も心も清めなければならないのである。
つまり、禊祓(みそぎはらえ)であるのである。
鳥居のしめ縄が中途半端でも、二拝二拍手一礼をして、日頃の感謝を述べ、神の御機嫌伺いをするわけである。
ううむ、御機嫌伺いはちがうか。
え? 「伺い」が読めない?
しょーがねーなー、辞書ぐらい引きなさいよ、辞書。
なんでもかんでもあたしに頼るんじゃありませんよ。
ご神体は御供岩であるのである。
なんたらかんたらその由来が書いてあるので、お暇な人よーく読んで、相模湖に行ったとき「ああ、これが御供岩なのね、ありがたいありがたい」と感動していただきたい。
つーことで神の結界の鳥居とご神体御供養岩の前の公衆トイレの前には郵便屋さんのバイクがその霊気神気を受けておられるのである。
郵便屋さんはトイレの中でトイレ中であるのである。
どれどれとそこまで食いつくと交番に連れて行かれかねないので、そこはそれ大人の常識で見て見ぬふりをするのである。
てきとーな文章で悪かったな。
だれもそんなこと言ってませんがね。
ちゃんちゃん。
うううう、あたまがダメだ。
その前ではあたし同様にカメラオタクのおじさんが、でかい一眼レフにズームレンズとフードを付けて御供岩を前景に相模湖の風景写真を撮らんと準備中であるのである。
いいね。
何が?
いや、別に。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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