気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年5月30日月曜日
天津祝詞で子供が走る
ううむ、あちこちでこの世に未練を残した霊を供養浄霊浄化したせいか、曲(まが)ごと穢(けが)れが憑いてしまったようである。
これでは昼飯所願供養は大願成就されないので、とにかく一度パオレから出て、パオーとわめいて象の大神様の神示啓示を戴くのである。
パオーには最近お気に入りの天津祝詞であるのである。
高天原に神留ります神魯岐神魯美の御言もちて神伊邪那岐の筑紫の日向のうああああっめんどくっせーやめだやめだおわりっ以下略。
ううむ、大神様は降臨なされたのであるが、ぜんぜん大神様の神示も啓示もないのである。
大神様は無言でお立ちであるのである。
やっぱり修抜をてきとーに端折ってはご利益も御神託もないのである。
おお!しかし、子供が神気に感応して、降臨した大神樣の方を振り向いて何か申し上げてるじゃありませんか。
やっぱり子供は細胞が最高に活性化しておられますので、神に近い霊能力を完備しておられるわけである。
どうも日本語がヘンであるのであるが、どんどん行くのである。
おおおおおお!さらに子供が光り輝く神気に反応して走り始めたのである。
あたりは神気霊気に包まれて浄化されチャクラはいやおうなく覚醒するのである。
ううむ、無理があるかな。
無理だらけか。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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