気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年5月5日木曜日
大國魂神社・拝殿参拝
大國魂神社の御祭神は、大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)であるが、これは武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたものであるのである。
まあ、神社の表記によると、この大國魂大神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)の御子神で、昔この国土を開拓され、人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えこの国土を経営されたということである。
御子神とは、神社において親子関係にある神が祀られる場合、子に当たる神のことを御子神(みこがみ)または苗裔神(びょうえいしん)というのであり、「御子神」という言い方をする場合は、 親子ともに主神である場合や、親神が主神でその子も共に祀る場合であるが、まあ、とくにこの大國魂神社に素戔嗚尊さんが祀られているとはどこにも書かれていないので、この場合、親子関係を表しいるということであると思うわけであるが、神社に直接、お聞きしたわけではないので、もしかしたらどこかに祀られているかもしれないのである。
ううむ、長いな、読者は読む気力があるかな。
とにかく怪力無双の素戔嗚尊さんのお子さんであるわけであるから、そのご利益威力はパワフルであるのである。
皆さん、これでもかといーろいろお願いしておられるのであるが、口をすっぱくして言いますが、神さんにお願いしてはいけません。
神様の日頃の理不尽な罰と力の行使に、ひたすら感謝とお礼の気を送るのが正しい神社参拝の法であるのである。
あたしたちはそのありがたい神罰を受けるためにこの世に現されているのである。
てなことを言ってるのに、場所柄、競馬新聞を持ったおじさんが神妙な面持ちで参拝に来られたのである。
おじさんおじさん、神様にお願いしちゃいけませんよ。
神様に迷惑ですよ。
オケラになりますよ。
まあ、いくら象師匠の大霊力で念を込めて言い聞かせても、おじさんに感応スイッチが入ってるわけもないので、無駄だろうなあ。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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