気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年6月15日水曜日
御岳山駅前を修験大祈祷
御岳山駅前広場に戻ると、これからハイキングに向かう皆さんが準備運動の真っ最中であるのである。
やっぱり大方が中高年のハイカーであるので、十分な装備と準備運動が遭難を防ぐ第一歩であるのである。
山をなめてはいけないのである。
まあ、歩くことは健康法としてはもっとも基本的な方法であるので、無理のない範囲で安全に定期的にハイキングをするのは非常によろしいと思うのであるが、あたしは歩くのもハイキングも登山もまっぴらごめんであるのである。
でも、厄除け火災除け盗難除けの日本武尊(やまとたけるのみこと)を助けたという伝説のニホンオオカミを神格化した大口真神(おおくちまがみ)のお札をもらうにはどーしてもこーしても武蔵御嶽神社の山坂の参道を神社境内までハイキングしなくてはならないのである。
いやでもなんでも歩かされる大口眞神様のありがたい健康成就のご利益であるのである。
ケーブルカーの御岳山駅からはさらに続々と登山客が降りてくるのである。
以前に平日に来たときはがーらがらであったが、今日は土曜日であるので、どんどん外界から湧いてくるのである。
このおじさんもデジタル一眼カメラを構えてあちこち夢中でお写真を撮ってるわけであるが、この御岳山では猫も杓子もデジカメを持っているのである。
まあ、猫はいなくて大口真神のご利益で、犬ばっかりであるので、犬も杓子もであるのである。
でも、犬はデジカメを持っていないかも知れないが、その飼い主が持ってるのである。
さらに杓子はデジカメを持っていないかも知れないのであるが、杓子を持って歩いてる人は一人もいないのである。
ううう、くだらん。
文を書けばいいってもんじゃないかもしれないのである。
まあ、ラボで働いたことがあるために写真の裏側を知っていた事情で写真なんかぜんぜん興味のなかったあたしもハマるぐらいデジカメとPCは写真の世界を変えてしまいつつあるわけである。
まあ、家に帰ってすぐPCに取り込んで見れるとゆーのはいいね。
アルバムもいらんし。
まあ、デジカメ以前のフィルムカメラの時代は、ラボであたしみたいないいかげんな人間がてきとーに機械を調整して印画紙に焼き付けていたわけであるから、いくら高額なカメラを買っても、ラボでお働きの写真なんかになんのセンスもお持ち合わせでないおにーちゃんやおじさんのきまぐれで写真の出来上がりが決まってしまったわけである。
しかし、これが、現在ではちょっと高級なコンデジでもRAWとJPEGで画像が出てくるので、それをPCに取り込めば編集ソフトでいろいろ自分好みに現像できるので、撮るのもできあがりもカメラの性能と本人の技術とセンスしだいであるところがブームの一因でもあるわけである。
御岳山駅前は武蔵御嶽神社周辺のハイキングコースに向かう人たちで大混雑であるのである。
手づくりチャーちゃんまんじゅうと清酒澤乃井であるのである。
「手づくりチャーちゃんまんじゅう」は「じ」までしか見えないので、「まんじゅう」なのか「まんじう」なのかわからないのである。
ああ、調べてみるとGoogle日本語入力でも「チャーちゃん」が出てくるぐらいであるから、これけっこう有名らしくて、「山梨県小菅村がお送りするおいしいチャーちゃんまんじゅう」だそうである。
ううむ、知らなかったのはあたしだけかもしれないのであるが、ぜんぜん恥ずかしくないのである。
チャーちゃんまんじゅうを知らなくても人生にはぜんぜん困らないのである。
無駄話ばっかりであるのである。
まあ、とにかく、御岳山駅から武蔵御嶽神社までの参道は、かなりな童貞、いや、かなりな道程であるので、健康祈願のついでに自販機で水を買うのである。
シモネタかよ。
そうです。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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