
古くから山岳信仰の霊場として開かれた御岳山山頂から武蔵御嶽神社への参道には御師(おし)の集落があるのである。
御師(おし/おんし)とは、特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者のことである。
御岳山の御師の皆さんは武蔵御嶽神社の神主さんだそうである。

御師は信者のことを檀那(だんな)と呼び、檀那は御師を通じて御岳山とつながっており、お参りの際に、御師の家を宿泊所とした。
御師は冬の間は山を降り全国を回って檀那を訪ね、お札を配りをしていたのであるが、この御師さんがそのお札配りの際に先祖伝来あたしの家を宿泊所にしていた縁で、現在でもあたしは御嶽神社のお札をいただきにくるわけである。

また、檀那である信者の皆さんは地域毎に「講」を組んで参拝をしたもので、江戸時代にはこのような組織は、富士講をはじめ大山講など全国的に数多くあり、庶民の娯楽の一つであったのである。
まあ、あたしもこの縁で「一人講」とゆーことであるわけである。

つーことで、まあ、人生とゆーものは縁であるわけである。
どんなに張り切って何かをやろうと思っても、縁がないとまったく成就されないどころか、正反対の方向に行ってしまうこともあるのである。
その縁は本人の意思とは無関係にいやおうなく強い磁場に導かれるのである。
その導きがないと自分では気がつかずにわけのわからない方向に驀進している時が多々あるのである。
磁場を占えばあなたの行く末が見えてくるのである。
占うとはあなたの神の声を聞くことである。
強い磁場とはあなたの中の神であるからである。

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