気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年6月26日日曜日
駒鳥売店の窓から神代欅が御開帳
まあ、今回の目的の大口真神(おおくちまがみ)のお札をもらう武蔵御嶽神社は目の前であるわけであるが、その前に昼飯供養大祈祷をしなければならないのである。
お化粧もバッチリの大女将が杖をついて「あら、いらっしゃい、そこのお兄さん、よってらしゃいよ」なんてことであたしをお招きであるのである。
お兄さんなんて呼ばれると、つい嬉しくなって、ふらふらと入りたくなるのであるが、お料理研究家象師匠としては心を鬼にして他の店も見てみなければならないのである。
あたしは昼飯供養大祈祷には常に命がけであるのである。
御岳山のうまい水炭火焼珈琲であるのである。
まあ、珈琲御神酒は食後であるので、さらに美味いものを求めてうろうろするのである。
それで、神のお告げを占ったところ、この駒鳥売店の中に御神体が鎮座ましますと出たのである。
もちろん、何がなんでもここで食わなければ、象源流占術宗匠象師匠の権威に関わるのである。
あらら、さすがは艮の金神様のお導きで、ポットを二つ持った奥さんの後ろ姿がおいしそうって、こらこら、シモネタはやめなさいって、誰にいってんだか、え?あたし?どーもえらいすまんこって。
ううむ、いかん、腹が好き過ぎてわけがわからなくなってるのである。
早く昼飯供養大祈祷を始めないと命にかかわるのである。
中にどんどん入ると、食堂の方は昼時であるので満杯であるのである。
窓際でカメラを構えて何か撮ってる人もいるのである。
いったい、窓の外に何があるんでしょうか。
窓の外はこの景色であるのである。
武蔵御嶽神社御神木の神代欅であるのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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