気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年6月14日火曜日
御岳山駅裏山は神の社
さて、富士峰屋さんでざるそば施餓鬼供養を無事に修抜して、腹ごなしに御岳山駅の裏山周辺を巡礼してみるわけである。
お山は神のおわします社(やしろ)であるから、その大変な静寂と森閑とした趣きは、まさに霊の降臨の場であるのである。
まあ、もちろん、その神の降臨はフィトンチットとあるはずもないマイナスイオンと酸素濃度が高いんじゃなかろうかてな錯覚であるのである。
身も蓋(ふた)もないのである。
それでも、その錯覚でストレスが緩和されて、よろしい脳内物質の放出大祈祷が起こるわけであるので身体には実にけっこうけだらけであるのである。
まあ、どんなに綺麗な風景写真も、撮る方の苦労はともかく、見る方はたいしておもしろくもないわけであるが、しかし、その綺麗な風景を見ることは神の降臨を見ることであるわけである。
美しい自然風景からいきなりのリアリズムであるのである。
さて、アルファ波大放出でベータエンドルフィンも大放出のありがたい神の社(やしろ)のお山を満喫して、いよいよ御岳山駅から武蔵御嶽神社の参道を修験するわけであるので、とにかくおトイレを済ませて身を浄めなければならないのである。
さらにリアリズムであるのである。
象源流であるのである。
ううむ、いいね。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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