気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年6月20日月曜日
御岳山診療所で健康祈願大祈祷
宿泊・お食事 能保利である。
そのとなりになにやら看板のついた建物があるのである。
青梅市委託御岳山診療所であるのである。
診療日は火曜日と金曜日であるが、今日は土曜日であるので休診であるのである。
診療時間は午後2時25分から3時15分であるのである。
受付時間は午後2時25分から3時迄であるのである。
ううむ、診療時間は50分間であるので、具合いの悪い人は早く来て待ってないと先生がお帰りになってしまうのである。
まあ、御師集落を中心としたこの地域だけの診療所であるから、患者の数もそんなに多く無いわけである。
もちろん大霊能者象師匠がこの診療所を訪れる患者の健康回復長寿祈願のために大祓祝詞を奏上して邪気を祓い、診療治療の効果をいやがうえにも増すように大祈祷を敢行したのはいうまでもないことである。
人生は何はなくとも健康第一であるのである。
大祈祷を済ませてその奥をみると、おじさんがカメラを構えて何かを除霊しているのである。
ううむ、これは霊能写真家象師匠としてはほっておけないのである。
あたしもさっそくその被写体を除霊しなくてはならないのである。
寄ってみると、どうもこの能保利にお泊りになった皆さんの記念撮影らしいのである。
まあ、記念撮影でもあたしが撮れば当然撮られた人は浄霊浄化されて健康の方向に向かうのは当然であるので、気合を入れて「祈念撮影」してあげたのである。
あたしの場合は撮るときは撮られるものの健康を願って霊気神気を送るべく念を入れるので「祈念撮影」であるのである。
人(他者)の幸せを祈るということは徳を積むということであるのである。
つまり、人の幸せを祈るということは自分の幸せを祈るということであるのである。
しかし、自分の幸せを祈るということは曲事(まがごと)であり、罪穢れを生むのである。
開運のためには自分を捨てて、人(他者)のために生きることを選ばなねばならないのである。
霊能大聖者象師匠はその曲事罪穢れ満載の人々をも救うために日夜、えーと、なんだっけ、ああ、そうだ、神の祝詞(ことば)である天津祝詞(あまつのりと)を奏上しているのである。
ついに霊能大聖者であるのである。
この世界は言ったもん勝ちであるのである。
ハイチーズ!
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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