気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年6月20日月曜日
神代ケヤキが天の気を降り注ぐ
まあ、なんとゆーか、このPCはディスプレイが27インチであるので、写真の解像度てなことを含めて、画質がどうのこうのなんてことが、カメラによってこれがけっこう違うのであるが、これ、ノートPCの15.6インチなんてえ大きさの画面で見てみると、解像度も画質もへったくれもないのである。
カメラの違いなんかはノートPCの画面ではまるっきりわからないのである。
画素子の大きなGRDⅢよりも、逆に画素子の小さなEXILIMの方が被写界深度が深くて、高級なデジタル一眼レフと同様の絵になったりするのである。
そうなると、問題はその写真に何が写っているかということになるわけである。
カメラマニアがこだわる解像度や画質なんてえことをいちいち気にして写真を見ている読者は、ほとんど皆無と言っていいわけである。
たとえば猫の写真なんてえのは誰が見てもかわいいので大人気であるし、犬の写真なんてえのも人気があるわけである。
自然の風景や街の風景なんてのはよほどのマニア以外は面白くもなんともないのである。
つーことで、うれしそうなカップルの右後方に見えるケヤキの大木が武蔵御嶽神社御神木の神代ケヤキである。
この大ケヤキは樹齢が約600年(1000年との記述もある。)で、樹高は10丈(30m)との説があるのであるが、まあ、時を経て折れたりなんだりのせいか、実際には樹高約23m、幹周約8.2mもの大木である。
この御岳山の神代ケヤキは御嶽神社の御神木であり、日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の頃からあるという伝説もあるという話であるが、日本武尊が1000年前の人物かどうかなんてえ夢をぶち壊すようなことはあたしからはっきりとは申し上げられないので、お好きな方はお調べいただいてお楽しみいただきたい。
この御岳山の神代ケヤキは、昭和3年(1928年)に、国の天然記念物に指定されているのである。
まあ、木は気の語源でもあるという話もあるぐらいであるから、とくに大木大樹は大きな気を発しているのである。
これはべつにあたしが言わなくても、気の世界では常識みたいなことであるので、ときどき木に抱きついて気をもらおうなんて人がいたりするわけである。
まあ、その大木大樹が豊かな気を発するということを経験的に知っていた古代の人が、寺院神社に御神木なんてことで木を植えて、それが数百年の時を経てこの神代ケヤキのような大木になっているわけである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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