気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年6月25日土曜日
御嶽神社前商店街まで禊ぎ祓い除霊巡礼
ううむ、いいかげん悪霊祓い禊ぎ巡礼に飽きたところで、あちらの方から、ご夫婦とおぼしきお二人がカメラを持って来られたので、除霊してあげたのである。
ご主人とおぼしき男性は例によってごろんごろんしたデジタル一眼レフカメラにこれまたどでかいレンズを付けて首から下げておられて、奥様といおぼしき女性は小さなコンデジを手にお持ちであるのである。
まあ、たとえば象源流みたいに、ブログなんかでその撮った写真を見せるなんて場合は、このダンナのどでかい一眼レフカメラも奥さんの小さなコンデジも実際には大差ない写りであるのである。
まあ、なんだかんだいっても、このミラー跳ね上げ式のどでかい一眼レフカメラは、ファインダーだって電子式で済むわけであるから、この方式自体が無意味であるので、早晩に消滅するのは目に見えているのである。
だから、あと何年もしないうちに、「一眼レフ」と言う言葉自体が過去のものとなって、コンパクトデジタルカメラとレンズ交換式デジタルカメラてな分け方になるわけである。
まあ、しかし、とんちきなカメラマニアはともかく中にはプロまでもがこれまでの感覚から抜け出るのが怖くて、いまだに銀塩がどーのこーのなんて世迷いごとをおっしゃる人がいるわけであるので、メーカーの方でも、そこはそれ、意味があってもなくてもハイアマチュア、プロ用なんてことで高額なフルサイズ一眼レフカメラなんてことで売りたいわけである。
この先は小型も中型も大型もなくて、小さなコンデジサイズで、現在ボディ本体だけで70万円から100万円以上する中判デジタルカメラと同じ写真が撮れるようになるのは、メーカーがその気になってやろうと思えばすぐにでも出来るのは目にみえているのであるが、そこはそれ、そんなことしたら、発売当初70万円以上もしたハイビジョンの40インチのテレビが、地デジ対応なんてことでメーカーがその気になったら今では4万円台になっちまって、メーカーがこの先の販促はどうしたらいいかわからない、なんてことになっちまったのと同様で、カメラメーカーの方ではそんないいもん作ったんじゃおまんまの食い上げであるのであるから、作るわけがないのである。
だーれもおいしくないソーラーパネルの太陽光発電がさっぱり普及しないのと同様であるのである。
それで、ダンナはその首からかけたもうすぐ消滅してしまうどでかいデジタル一眼レフで撮るのかと思ったらば、やおら小さなサブのコンデジを取り出して撮り始めたのである。
なにしろサブであるのである。
カメラマニアは皆さんこのサブを持ってるのである。
まあ、気持ちは分かるが、2台もカメラを持って、さらには大きな三脚も持っての山歩きは重くないのかねしかし、と思うわけであるが、ところがこれが人間好きなことになると、この程度の重さなんか感じないというのがこれ、人間の脳の実に不思議であるのである。
まあ、あたしなんかも一時期、釣りに凝ってたときは、真冬の雪の降るしきる零下の磯で、バケツにロープを結んで塩水を汲み上げて、その中に手を浸けてもぜんぜん冷たくもなけりゃ寒くもなくて、もう、何が釣れるのかということで身体は元気溌剌でまったく疲れも知らないという、実に人間の身体の不思議を実感したわけである。
だから人間は好きなこと以外しちゃあいけないのであるが、そこはそれ浮世の沙汰はそうも言ってられなくて、いやなことばかりしなくちゃならんわけであるところがね、これまたなんとも、その人生に味がでてくるわけである。
てなことを言ってるうちに、武蔵御嶽神社前の商店街に出たのである。
振り返るとこの路地から来たのである。
このコンデジGRDⅢで路地に思い切りの念を送って大除霊大祈祷したのはいうまでもないことであるのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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