気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年6月6日月曜日
アウトレットパーク多摩南大沢から大祈祷撤収
三井アウトレットパーク多摩南大沢のMarkets&Restaurantsコーナーでいくら八百万(やほよろず)の神に祈っても神は集まらず、食を受け持つ神宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)のご降臨もなく、つまりこれは、ここで昼飯供養をするのはよろしくないという啓示神示であるわけであるので、しょーがないので神の啓示神示に従い撤収するのである。
道端で神の音の五十鈴に合わせて巫女舞を舞っておられるぱみゅぱみゅのおねーさん方に「ああ、チミタチ、わしは某レンタル企業のしゃちょーをやってるもんだが、ひとついっしょにサラヴァスティを拝みに江ノ島の弁天堂へどうかね、わーしゃカネは持っとるぞむふふ」と男子(おのこ)の礼儀としてお声かけたのであるが、ぱみゅぱみゅのおねーさん方はきゃぴきゃぴの真っ最中であたしのテレパシーをさっぱり受信してはくれなかったのである。
さらに通りすがりのこのスタイル抜群の観音様にもお声かけたのであるが、下心がこれでもかで、あたしの気が上がってしまってサイキック波動が弱いせいか、さっぱり反応がないのである。
ああ、このよからぬ下心のために曲事(まがごと)穢(けが)れがついてしまって、あたしの霊力は地に落ちたのでありましょうか。
この後ろを向いておたばこをしているおじさんも下心から気のレベルが下がってすっかり念力が弱ってしまったのかどうなのか、なんにしても男の後ろ姿はどこかもの寂しいのである。
てなことを嘆いているうちに、ああ、神はあたしを見捨てていなかったのである。
このいかにもおいしそうなおねーさんがって、だからおいしそうってのが霊格を下げるもとなんですったら、しょーがねーな男はよー。
まあ、つまりこの神が与えし「おいしそう」てな男の下心で人類の繁栄は近々100億人を超えて、さらなる飢餓を招くことは必定であるのであるが、それもこれも大神様のご意思であるのであるから、人類すべからく真摯な面持ちでこれをお受けしててんやわんやの地球を楽しむのがよろしいわけである。
すごいねどうも、昼飯が食えないのでやけくそなのか、ついに世界の建て直しを放棄して成り行きまかせの御祈祷を始める始末であるのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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