気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年6月5日日曜日
ベンチの向こうの霊
誰もいないはずのベンチの片隅に霊波動の光と共に女性の霊が写りこんでるのである。
無念な人生でこの世に未練を残してお亡くなりになって浮遊霊となり、楽しそうなアウトレットパークの気に集まってきた女性の霊のお一人であるのである。
もちろんあたしの大霊力を以てこの霊を供養し成仏させてあげるわけであるが、霊から祈祷料を戴くわけにもいかないので料金は無料であるのである。
ボランティア供養であるのである。
どえいってえいっありゃさっこりゃさっなむなむ。
ま、無料のボランティア除霊であるのでこんなところであるのであるが、なにしろ世界有数の大霊能者象師匠の除霊であるので、どんなとんちきな言霊でも霊はただちに浄化浄霊されて成仏するのである。
さて、そんなどーでもいいことはさておいて、大事な昼飯供養であるのであるが、おお、あのあたりに何やらうまそうな霊気神気が充満しているではありませんか。
寄ってみると、皆さん、お外のテーブルで優雅にうまそうなもんを飲んだり食ったりしてるのである。
ううむ、ここでご供養になろうかなるまいかと大神様のゆーとーりと啓示神示を仰いだのであるが、大神様は何もお答えにならないのである。
でも、皆さん美味しそうにご歓談の上お召し上がりになっておられるのであるが、大神様の啓示神示がない以上、あたしはご供養になれないのである。
何事も神のお授け通りに流されるのが霊能人生の極意であるのである。
成就するときは何もしなくても成就するし、しないときはどんなに努力してもしないのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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