気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年4月17日日曜日
トイレまでの旅
日々の糧(かて)は日々の労働により得るわけであるが、そうでもない人間もいるわけである。
まあ、あたしもそのそうでもない人間の一人かもしれないのである。
まあ、あたしは日によっては一日の労働時間が3分なんてこともあるのである。
あとは、好きなことをやってるわけである。
まあ、最近は写真ばっかり撮ってるわけであるが、まあ、これ、人生のものすごい無駄っちゃ無駄であるのであるが、人間、欲にかられてもっと稼ごうなんて思うと逆にドツボにハマって債権者に追い掛け回されて地の果てに逃げるなんてことになったりするのである。
ものごとは「足ること」を知らねばならないのである。
欲がものごとを根本からよろしくない方向に向かわせる原因であるのである。
そうはいっても、まあ、いつも言うことであるがどなたも「わかっちゃいるけどやめられない」わけである。
どなたも本質が見えないので、わかっちゃいるけどやめられないわけである。
それじゃあ、その「本質」が見えるようになるにはどーしたらいいかということになるわけであるが、そんなこと簡単にわかれば多重債務赤貧極貧ビンボー人はいないのである。
まあ、おつむのちょーしがどーしてもそちらの方向に行くようにプログラミングされているわけであるので、努力すればなんでも報われると勘違いするわけである。
努力なんてえのは欲の代表みたいなもんであるのである。
努力をやめたところから運気は上昇を始めるのである。
努力をやめるということは欲を捨てるということであるからである。
でも、そんなこと、あたしが許しても世間様が許しちゃくれません。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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