気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年4月6日水曜日
高尾山|植木屋
1/1000ではどうも写りがあまいので、1/1600にしたのである。
そしたら同じぶらぶら歩きの片手撮りてきとーシャッターでも急に写りが厳しくなったのである。
いいね、GR DIGITAL Ⅲはこーでなきゃいかんつーことで、少し大きいサイズでUPしたのである。
まあ、それで、こみや商店さんの向こうのお宅でなんかおやりになってるのである。
寄ってみると植木屋さんが植木の剪定をしているのであるのである。
この石垣の具合いなんかがなんともますます写りが厳しいので嬉しくなって快哉を叫ぶのをがまんしてさらに寄ってみるのである。
ううむ、報道なんかによくあるわかりやすい構図である。
100人が見てもだいたい99人までは「植木屋さんがお仕事をしている」ということがわかるお写真であるのである。
さらに寄ってもわかる写真であるのであるが、植木屋さんには関係ないのである。
1/1600でこのように美しく写してあげたのであるが、それも植木屋さんには関係ないのである。
このへんで植木屋さんにはお別れであるのである。
おそらくこの植木屋さんにはこの先2度とお会いすることはないのである。
人生は一期一会であるのである。
千載一遇ということもあるのであるのでどこかでお会いしないとも限らないわけであるが、お互い名前も顔も知らず、誰だかわからないのである。
人生は一瞬のまどろみであるのである。
意味がわからないのである。
てきとーに言ってるだけであるのである。
高田純次かよ。
しかしメシはいつ食えるんだ?
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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