気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年4月9日土曜日
高尾山|紅葉橋から峯尾商店
紅葉橋を見ていたらおばさんがいきなり走りだして道路を横断して車に轢かれそうになったのである。
でも、べつにおばさんはおどろいた様子もなかったので、いつもの渡り方であるのかもしれないのである。
人間は人それぞれであるのである。
しかし、この紅葉橋を渡るといったいどこへ行くのかやっぱり気になるわけである。
人間というものは一度気になると、とにかくその先を確かめないと気がすまなくなるのであるが、そうでない人もいるかもしれないのである。
人間はひとそれぞれであるのである。
まあ、あたしは確かめないと気がすまない種類の人間であるので、ついに紅葉橋をお渡りになったのである。
でも、通りはたいして奥が深くないようであるが、それでもかなり遠くに突き当たりの交差点がすぐ見えるのである。
まあ、腹がへってるのはほっといてとにかくどんどん歩いて行くと、5分ぐらいで突き当たりの交差点の近くに来るのである。
腹がへってるせいなのかどうなのか、よたついてるのかへろへろなのか、ブレて傾いて露出もめちゃくちゃになっているのである。
まあ、そんなこたあどーでも、どうも右になんかおいしそうな霊気が見えるのである。
高尾焼きなんてお看板が掲(かか)げてあって、アサヒスーパードライの幟(のぼり)も翩翻(へんぽん)と翻(ひる)がえっておられるのである。
しかしここまでメシを我慢して、ここで負けて高尾焼きとスーパードライになってしまうと、今日一日がわやくちゃになるのである。
ううううと食いたくて飲みたくて暴れたくなるのをじーっと我慢をしてさらに歩くのである。
峯尾商店である。
なんのことはない来るとき車で走ってきた国道20号線である。
左は高尾山口駅で左は祈祷殿駐車場である。
なんの祈祷殿がわからんのであるが、祈祷をしていただける社殿があるわけである。
その祈祷殿にまでくいつくとこれUPするのに何年かかるかわからなくなるので大決心してここから引き返すことにしたのである。
ううむ、いったい何枚撮ったんだコレ。
ああ、800枚だった。
終わんねーぞしかし。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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