気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年4月20日水曜日
高尾山|清滝駅周辺の記憶
ううむ、祟られたので再アップであるのである。
まあ、油断してるといろいろ霊の障りがあるわけである。
祟り祟られあらいやんというわけで、まあ、どーでもいいのであるが、めんどくさいねどうも。
まあ、高尾山は神の山であり霊場でもあるわけであるので、不遜なことをいうとお祟りになるわけであるので、弥栄(いやさか)を言祝(ことほ)ぎあなたもあたしも大除霊というわけであるのである。
すごいねどうも、だんだんなんのブログかわからなくなってるのである。
まあ、大霊能者象師匠の写真であるから、そら、ろくなこたあないわけである。
ううむ、こんなことを言うから祟られるのである。
黄泉の国のお歴々を言祝ぎこそすれ、あだや疎(おろそ)かに言い立ててはよろしくないのはいうまでもないことであるのであるが、これがねえ、どうも、史上最低の霊格者のあたしとしては神の社に降神を願った八百万(やおろず)の神さん諸々(もろもろ)に高天原になんてね。
なんだよ、意味がわかんねーぞ。
気を確かに立てなおしてあそこもここも立てなおして、いざ、おねーちゃんと大格闘ならんと、ううむ、下ネタかよ。
三村かよ。
ううむ、つらいね、だめだね、もっと、こう、なんというか、大爆笑とはいかなくても少爆笑ぐらいなんとかね、ほしいね。
人間の運命なんてえものは斯くの如くあやふやであるので、そんなにしゃかりきになっても意味がないっちゃないわけであるので、てきとーにやるのがよろしいわけである。
くそー、祟られたのでまとまらんが、まあ、こんなところでひとつお願いしますよ。
どれどれこんどはどうかな。
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昨日はどこへ行ってしまったのでしょう?
返信削除昨日のお話とっても良かったのに・・・