気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年4月6日水曜日
高尾山8|こみや商店
ここにもトリックアートであるのである。
高尾山はなにがなんでもトリックアートであるのであるが、おねーさんはおやきを売ってるのである。
でも、あたしは蕎麦を食いたいのでおやきは食わないのである。
中を見るとお父さんと息子さんが仲良く鮎の塩焼きなんかをお召し上がりになってるのである。
写真コンテストなんかのほのぼの親子部門なんてえコーナーでよく入選してるようなベタな写真であるのであるが、どうも、高尾山はお父さんと息子さんの交流の場であるのである。
いやあのね、ブレてボケてピントが甘いのは歩きながらてきとーにシャッター押してるからしょーがないのである。
まあ、たいていの息子さんは正常にお育ちになると、もう少しするとお父さんとはうざくて口もきかなくなって戦国時代に入るのであるから、お父さんにとっては人生のしばしのやすらぎであるわけである。
でも、あたしは蕎麦を食いたいので鮎の塩焼きも食わないのである。
その先はこみや商店であるのである。
いや、べつに知り合いじゃありませんが、ううむ、いいねえ、あたしもこーゆー商店をやりながら人生を過ごしたいもんであるが、性格が性格であるからやったら3日で飽きるのである。
店頭の横には写ルンですと木刀やつえなんかをそそとならべて売ってるのである。
販売台の足が平行になるように、ちゃんと板を重ねて枠をつけた木製の足場を作ってあるのである。
その横には変色した消化器の入れ物のついたものすごい年代物の掲示板なんかもおありになって、ううう、たまらんリアリズムであるのである。
やっぱり山にきたら写ルンですと木刀であるのである。
しかし、つえはわかるとしてもなんで山で木刀を売ってるのか今だによくわからないのであるが、こんなもん持って山を歩いたら、重くてしょーがないと思うのであるが、まあ、山であるから木工品ということだろうかね。
まあ、いいや。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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