気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年7月1日金曜日
稲荷社の御祭神は倉稲魂神で霊能者が階段修行
随神門に別れを告げて、わははは、別れを告げてなんつーのはいいね、ううむ、先に行くのである。
その前からさらに階段が始まるのである。
おねーさんについて下りて行きたいところであるが、ここはぐっとがまんしてさらに階段を除霊して上がるのである。
川崎市中原区市ノ坪御岳講の皆さんも昭和55年4月吉日に結構150年記念で来られてるのである。
すごいね150年ってしかし。
実はこの川崎市の市ノ坪に知人がいて、あたしはこの周辺にけっこう詳しいので、「へー」なんて思ったのである。
ミトコンドリアが生き生きとエネルギーを発している子供たちは元気溌剌でどんどん登っていくのであるが、途中でおじさんとおばさんが、「もう無理、ここで帰ろう」なんてことを言ってるのである。
若い人でも、この階段を登る前から、息も絶え絶えになってる少しふくよかな肉体つまり小太りのお兄さんもおられるのである。
さらに階段は延々と続くのである。
武蔵御嶽神社参道のご利益で付いた筋肉脚力はあたしのものであるのである。
稲荷社、御祭神、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)であるのである。
ウカノミタマは、日本神話に登場する神で、『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)であるが、『日本書紀』では倉稲魂尊(うがのみたまのみこと)と表記する。
名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。
京都・伏見稲荷大社の主祭神になっていて、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されていて、神の生まれ変わりの天才霊能者象師匠の家の稲荷神社の御神体でもあるのである。
言うにことかいて「神の生まれ変わり」であるのである。
本人は不摂生がたたって差し障りがあるのではっきりとは申し上げられないおビョーキで激やせしてさらに離婚した奥様にぼろくそに言われてるどこかのホラ吹き先生の「釈迦の生まれ変わり」なんつー甘いホラではなく、あたしの場合は天才霊能者だけに、もうこれ、おもいっきりの「神の生まれ変わり」であるのである。
言いたい放題であるのである。
なにしろ神の生まれ変わりであるから、今にも死にそうな激やせの先生とはちがって、永久に死なないのである。
そらあんた象師匠レベルの仙人となれば不老不死であるのである。
いつのまにか仙人であるのである。
でも、まあ、この仙人はなにしろ飽きっぽい性格であるので、生きるのもたいがい120歳ぐらいで飽きるのでそのへんでおっちんじまう予定であるのである。
もう、自分の寿命までホラふいてしてしまうぐらいの天才仙人神の生まれ変わり霊能者であるのである。
しかし、この御嶽神社参道の急な階段つーものは行けども行けども終わらないのであるが、いったい何段あるのかつーと、1368段もあるのであるのであるあるのであるのである。
さらに健康成就祈願ご利益の階段登りトレーニングであるのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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