気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年7月29日金曜日
日傘も荒御魂(あらみたま)を鎮魂浄霊
霊感霊能修養にはβ-エンドルフィンを放出して四魂を活性化する真神行法(まかみぎょうほう)が必要である。
真神行法により荒魂(あらみたま)である身を昇華浄霊し、和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を鎮魂しなければならないのである。
魂(みたま)とは御霊(みたま)であるのである。
あなたにお乗りになってる神のことであるのである。
わけの分からないお告げお授けお筆先はさて置いて、ううむ、さて置いては艮の金神(うしとらのこんじん)樣にそうとう失礼であるが、まあ、とにかく、公園内を歩ける範囲内で霊能シャッター除霊祈祷してみるわけである。
園内はなにしろだだっ広いので、人口密度が限りなくゼロに近い状態であるので、地縛霊、浮遊霊の皆さんは憑依する人も動物もいないので、あちらこちらでふらふらへろへろと漂って、暇そうであるので、もちろんボランティア除霊師の象師匠はかたっぱしから霊能シャッターで供養し成仏させて日本の安寧を祈願するわけである。
その園内浄霊の甲斐あって、曇っていた空はにわかに晴れ渡り、邪気が祓われ空気も澄み渡ってこのとおりであるのである。
あな恐ろしきは象師匠の大除霊祈祷の霊力であるのである。
その霊力に高天原の神々も平伏し、天はあますことなく神気を降り注ぐのである。
通りがかる衆生も神の精気に触れ実に穏やかな表情を醸し出しているのである。
まさにこの世の極楽が出現せんと欲している瞬間であるのである。
ごらんあれ、この世の極楽の出現であるのである。
ううむ、うまいねどうもこの写真は。
やっぱり天才霊能写真家であるのである。
Camera : RICOH CX1
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