気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年7月16日土曜日
御岳山開運除霊大祈祷最終回
人類の平和と日本の衆生を苦しめる悪鬼邪気陰気悪霊の即時退散、さらには天津神(あまつかみ)・国津神(くにつかみ)によるこの国の世直し建て直しを祈念しての解脱供養御岳山武蔵御嶽神社開運除霊大祈祷巡礼行脚修抜(げだつくようみたけさんむさしみたけじんじゃかいうんじょれいだいきとうじゅんれいあんぎゃしゅばつ)は今回で修了であるのである。
天津神(あまつかみ)・国津神(くにつかみ)の「つ」は現代語の「の」のことで、天の神・国の神という意味である。
それで、「天つ神」「国つ神」と書くこともあるのである。
また、漢字二字で天津神を「天神」(てんじん)、国津神を「地祇」(ちぎ)とも言い、併せて「天神地祇(てんじんちぎ)」「神祇(じんぎ)」とも言うのである。
国津神(くにつかみ)はこの世が乱れたときにその乱れを直すカルマを成就し、天津神(あまつかみ)は乱れが直された後の世の建て直しのカルマを成就する役割の神々であるのである。
この、天津神・国津神のカルマ成就は天津祝詞(あまつのりと)・国津祝詞(くにつのりと)により成就されるわけであるが、大祓詞(おおはらえのことば)は前半が天津祝詞を成就し、後半が国津祝詞を成就するのである。
つまり、この解脱供養御岳山武蔵御嶽神社開運除霊大祈祷巡礼行脚は大祓詞を奏上修抜することにより最終段階の言祝(ことほ)ぎが成就されるわけである。
つーことであるが、某県某所にある金運テーマパークの某ホギホギ神社とはぜんぜんかんけーないのである。
いーろいろあーだのこーだのえらそーにごたくを並べとりますが、あくまでも、これ、霊界神界からのお筆先自動書記であるので、文責はもちろん宇宙エネルギーにあるのであるが、ううむ、いいね、宇宙エネルギーだ、なかなかうちの大神様もイキだね、まあ、とにかく、神様だけに口から出まかせでたらめい言いたい放題であるのである。
てな与太話(よたばなし)ばっかりで今回の御岳山除霊は終始したのであるが、まあ、これでオシマイとなるとやっぱりお名残り惜しくて涙もにじんで目の前の景色も五里霧中であるのである。
滝本駅構内でおじさんが売ってたわさびであるのである。
宇宙空間を光の速度で行き過ぎるあたしの人生の一瞬の残像であるのである。
なにしろ宇宙空間であるのである。
Camera:RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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