気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年7月2日土曜日
三柱社で大歳神と御歳神と大山咋神がトリオでコラボ
三柱社である。
御祭神は大歳神と御歳神と大山咋神の三柱の神々をお祀りしているのである。
年神(としがみ、歳神とも)は、神道の神である。
毎年正月に各家にやってくる来方神である。地方によってはお歳徳(とんど)さん、正月様、恵方神、大年神(大歳神)、年殿(としどん)、年爺さん、若年さんなどとも呼ばれる。
「年」は稲の実りのことで、穀物神である。
大山咋神(おおやまくいのかみ、おほやまくひのかみ)は、日本の神で、別名 山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)であり、大年神とアメノチカルミヅヒメの間の子であるのである。
まあ、とにかく穀物の神さんとそのお子さんであるのであるから、もちろんお布施の大枚100円を奉納して絶対にこの先食うことに困らないようにこれでもかと大念力をこめて大祈祷をしたのである。
それで、大祈祷を終わって先を見ると、武蔵御嶽神社のお姿はどこにも見えず、さらに延々と修行の階段が続くのである。
鳥居を抜ければもう社(やしろ)の屋根ぐらいは見えるだろうと思ったのであるが、ぜんぜん見えず、さらに永遠に修行の階段は続くのである。
なにしろ禊祓(みそぎはらえ)階段修行であるので、苦しければ苦しいほどご利益霊験はあらたかであるのである。
おいおい、まーだ階段は続くのかね。
どんだけ階段を作れば気が済むのかいったいなんてーことをゆーとバチが当たって立つものも立たなくなるかもしれないってこれこれ神様相手にシモネタいってどーするのかねどーもすいませんですたいううううだれかとめてねおなねがいだからうふんえっちあたしってあれなのねこれなのねあのねのねうおおおおおおっ、やめなさい、ハイハイ。
神社参拝を済ませて降りてくる皆さんは神気を受けて表情も晴れ晴れと爽やかであるのである。
ああ、あたしも早く武蔵御嶽神社の神気を受けて気道を開きたいものである。
トレッキグステッキも神気を受けて澄んだ五十鈴の音色のごとき美しい波動を発しているのである。
てなどーでもいいことを言ってたら、どうも神社の社(やしろ)らしきものが見えてきたのである。
おお!、ついに神の光を見たのである。
あなたも神の光を見るのである。
え?見えない?そらいけませんね、もっと修行しないと。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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