気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年7月12日火曜日
GXR A12 28mmで街を除霊してみる
まあ、なんであるが、このところ忙しくて、GXRで観光地を除霊しに行くヒマもないので、仕事で通りがかりの街に佇(たたず)む地縛霊憑依霊浮遊霊の皆さんを、3.0型透過型液晶、約92万ドットの明るいモニターで霊視して除霊するわけである。
とりあえず、やぶれたコーン霊を除霊大祈祷するのである。
なかなかいい供養である。
続いて住宅地に取り憑いた邪悪な霊をことごとく浄化浄霊してみるわけである。
象師匠渾身の大念力でしつこい霊もがっつり除霊した結果、みごとにこのように晴々とさわやかな景色になったわけである。
看板の犬と子供についてる念障も懇(ねんご)ろに供養して差し上げるのである。
これで、この先の犬と子供の将来は明るい光に包まれてモデルのお仕事はさらに増えて万々歳になること必定であるのである。
象師匠のおつむはどんどん悪化してるのである。
この除霊行脚の前に、炎天下で草刈りを4時間やったので、まあ、べつにこの程度の暑さはなんでもないのであるが、それでも喉が乾いたので超省エネ24h消灯販売中の自販機で水を買うのである。
もちろん、自販機もでえいっっっと気合いを入れて護摩のお焚き上げ大祈祷であるのである。
どこかのお宅の建築現場の基礎工事だってあたしが降神祝詞に昇神祝詞に祈念祝詞に地鎮祭祝詞奏上であるのである。
地鎮祭(じちんさい・とこしずめのまつり)は、土木工事や建築などで工事を始める前に行い、その土地の神(氏神)を鎮め、土地を利用させてもらうことの許しを得るのであるが、これには神式と仏式があり、一般には、神を祀って工事の無事を祈る儀式と認識されており、安全祈願祭と呼ばれることもあるのである。
鎮地祭、土祭り、地祭り、地祝いとも言うのである。
大きなお世話であるのである。
土地の氏神は鎮められ稲の穂もこのように凛としてお立ちになっておられるのである。
どこが稲の穂だ?
あなたには見えなくてもあたしのような極めてステージの高い霊能最終修抜修験者にはそこに稲穂の金色(こんじき)の波が見えるのである。
そのステージの高い霊能最終修抜修験者であるあたしに近づくためのメソッドの総てが象気功に書いてあるのであるが、象気功はご存知のように艮の金神(うしとらのこんじん)様のお筆先による自動書記であるので、まあ、掻(か)い摘(つま)んでいうと、言ったもん勝ちであるのである。
なにしろ霊能最終修抜修験者であるのである。
言い換えると馬鹿丸出しつーことであるのである。
Camera : RICOH GXR A12 28mm
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