気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年7月5日火曜日
本社本殿前は二柱社と八柱社であらいいわん
文暦元年(1234年)に大中臣国兼(おおなかとみのくにかね)が荒廃していた社殿を再興し、以降は修験場として知られ、関東の幕府や武士から多くの武具が奉納されたのである。
慶長10年(1605年)には大久保 長安(おおくぼ ながやす、ちょうあん)を普請奉行として本社が建立され、元禄13年(1700年)には弊殿と拝殿が建立されたのである。
明治に入ると神仏分離によって、それまでの御嶽大権現から大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのてんじんしゃ、おおまとのつのあまのやしろ)に改称したのである。
これは当社が延喜式に載せられている「大麻止乃豆天神社」に比定されたためであるが、同様に大麻止乃豆天神社であると比定される東京都稲城市大丸にもあったため、御嶽神社と改称したのである。
その後、昭和27年(1952年)に現在の武蔵御嶽神社に改称したのである。
玉垣はかってに開けないで下さい社務所であるのである。
たしか以前に来たときはここが開いていて、奥の方までぐるりと見学できたのである。
まあ、今日は土曜日で混雑するせいなのか、見学者のマナーが悪いので進入禁止にしたのかは定かでないのであるが、まあ、神社の方でもいろいろ事情があって勝手に入るなというのであるから、勝手に入らないで外から見るのである。
玉垣の中の手前に鎮座しているのが二柱社で伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)を祭るのである。
社殿は一間社流造の見世棚造である。
その奥に鎮座しているのが八柱社で、春日社、八幡社、䗝養社、八雲社、座摩社、月乃社、国造社、八神社を祭るのである。
さすがに䗝養社はなんと読むのかあたしにもわからんのであるが、調べてみると、「䗝」は「こ」と読むらしく、意味は神の虫である「蚕(かいこ)」を表すらしいのであるが、まあ、てなことから、䗝養(こよう)社であるのかね。
てなことから、䗝養社は養蚕の繁栄を願う神社つーことであるのかもしれないのである。
まあ、お好きな方は心ゆくまでお調べいただいてお楽しみいただきたい。
その2社の前にあるのが、本社本殿である。
現在の本殿は一間社神明造で明治10年(1877年)に造営されたそうである。
まあ、行ってみるとわかるのであるが、本社から発せられる神気は重量感のあるなかなかしっかりした強い波動であるのである。
いわゆるパワースポットであるのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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