気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年7月9日土曜日
御師さんは夢の中で檀那廻り
おお、この家である。
あたしが子供のときに父親に連れて来られた記憶があるのである。
その後は神社参拝に来てもこのお宅に寄ることはなかったので、ものすごく懐かしくて涙が溢れて周囲が見えないのである。
もちろん嘘泣きである。
御師(おし/おんし)とは、特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者のことである。
特に伊勢神宮のものは「おんし」と呼ぶのであるそうであるが、御師は街道沿いに集住し、その集落を御師町、御師集落と呼ぶのであるそうである。
元は「御祈祷師(おんきとうし)」を略したもので、平安時代ごろから寺に所属する僧に対して用いられるようになり、後に神社の参詣の世話をする神職についても用いられるようになったのである。
御師は講などで参拝に訪れる信徒を檀那(檀家)と呼び、御師の仕事の中で重要なものの一つに、「檀那(檀家)廻り」があるのである。
御師は布教活動の一環として、毎年檀那(檀家)の家々を廻り、その際に家内安全などを神霊に祈願し、また病気回復などの祈祷を行い、祈祷札(護神符)などを頒布したのである。
その檀那廻りのときに、このお宅の御師さんが御岳山から下りて来て、毎年あたしの家に泊まっていたわけである。
つーことであるが、武蔵御嶽神社の御神符授与所の神主さんの話では、跡継ぎの方が山を下りてしまったということで、この懐かしいお宅は、まあ、どなたかが管理されているご様子ではあるが、現在は宿坊としては経営していないようであるのである。
時は一瞬も止まることなく瞬く間に過ぎゆき、懐かしい御師さんも今では夢の中のあたしの家に泊まりに来るのみである。
そのうちあたしがおっちんじまうと、夢のなかの御師さんは泊まる家がなくなるのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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