気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年7月7日木曜日
武蔵御嶽神社大口真神大除霊修抜修了
大口真神様の御神符(おふだ)5枚を無事戴(いただ)いて、ついに武蔵御嶽神社大除霊大祈祷修抜も修了であるのである。
宝物殿を上に見て、道々のあちこちに佇(たたず)む眷属神やら地縛霊やら浮遊霊をえいやあっと除霊浄霊浄化しながら、とっとと帰るのである。
まあ、つまり、来た道をケーブルカーの御岳山駅まで降りるわけである。
これ、人間の意識というのは不思議に出来ていて、来るときは遠く感じて、帰りは近いのである。
慣れたことは時間が短くなるつーことであるわけである。
だから、子供は何事も人生に慣れていないので、時間がものすごく長く感じて、大人は何事も慣れていて人生に飽き飽きしてるので、同じ時間をものすごく短く感じるつーことであるわけである。
まあ、来る時が登りで帰る時が下りであるので、さらに足取りも軽く早くなるので、帰りの時間は実際に短くなるわけであるが、大霊能者象師匠としてはもちろん無料ボランティアで辻々をカメラという名の榊(さかき)の枝葉を振り回して禊ぎ祓い浄霊浄化して歩かねばならないので、それなりに時間が掛かるのである。
バイクの皆さんも交通安全をお祈りしてGRDⅢの榊を振り立てて大祈祷するわけである。
見晴らし一番駒鳥売店この下左側→も榊の枝葉を頭の上でしゃんしゃんと振り回し、除霊浄霊浄化のシャッターを切るわけである。
駒鳥売店は来るとき昼飯供養大祈祷を済ませてあるので、帰りはスルーするのである。
商店街もこれでおさらばであるわけであるので、最近お気に入りの天津祝詞をがなりたてて悪霊邪霊を一掃して、商店街の繁栄を言祝(ことほ)ぐわけである。
象師匠は人類平和成就のためにこの世に現されたのであって、霊能力で女湯をのぞくために修行してるわけではないのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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