気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年7月14日木曜日
御師さんご挨拶で御嶽講も修抜修了
御嶽講でお泊りになった皆さんを、宿坊の御師さんが御岳山駅までお見送りらしいのである。
グレーの作務衣が御師さんである。
もちろんシャッター除霊大祈祷のチャンスであるので、遠くから陰ながらボランティア一発除霊であるのである。
遅れてきた講中のおじさんも一発除霊で、肥満霊が供養されてダイエットに成功することまちがいなしであるのである。
ものすごく大きなお世話であるのである。
もう一人の遅れてきたおじさんも一発除霊であるが、このおじさんには肥満霊が憑依していないので、家内安全健康成就を祈念しての大祈祷であるのである。
手に手にお土産を持っている講の皆さんを前に御師さんが深々と一礼してお礼のご挨拶をして、講中の代表者らしいおじさんもお世話になったお礼のご挨拶をしている様子も大除霊大祈祷したのである。
まあ、何を言ってるのかは、遠すぎて定かでないのであるが、まあ、そーゆーことであるのである。
その後もベンチに座ってその前を通り過ぎる皆さんを無料で除霊してさしあげるのである。
象師匠の人生はひたすら徳を積むことに総てがあるのである。
お母さんと兄妹のお子様も将来の幸せを祈念して一発除霊であるのである。
お父さんと男の子のお二人も、「息子に相手してもらえるのは今だけよ」と祈念して一発除霊であるのである。
男の子が中学生になってもお父さんの相手をするようならその子の将来はとても心配であるのである。
お父さんに話しかけられたら、あっちむいて「うぜーよ」というのが中高生の男子の正しい育ち方であるのである。
山ガールも一発除霊であるのである。
ううむ、若い女性対して「一発」というのはいろいろ語弊があるのである。
まあ、べつに他意は全くないと言いたいのであるが、かなり他意はなくもないのでなんともかんともであるのである。
しかし、ここでそのなんともかんともの他意がどこらへんにあるかについての詳細を書くことはもちろん差し控えるのである。
Camera:RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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