気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年10月29日土曜日
可睡斎・本堂参拝
さて、いよいよ可睡斎本堂参拝である。
赤い帽子に赤いよだれかけのお地蔵さんもあたしの信心深さににっこりと微笑んでお迎えであるのである。
そうでもないか。
可睡斎本堂である。
おお、ご本尊聖観音菩薩様の慈愛の霊気波動が暖かく迫ってくるではありませんか。
可睡斎は聖観世音菩薩(しょうかんのんぼさつ)をご本尊とし、高祖承陽大師(こうそじょうようだいし)と太祖常済大師(たいそじょうさいだいし)を両祖とするのである。
承陽大師とは曹洞宗開祖道元禅師の諡号(しごう・生前のおこないをたたえ、死後におくる名。おくりな。)であるのである。
常済大師とは、一般には瑩山禅師と呼ばれる曹洞宗の第4祖でのである。
曹洞宗の宗派内では、道玄を大師、瑩山を高祖と尊称するのである。
さらに可睡斎は宗派を越えて古来より火伏せの神と崇められて、全国津々浦々に奉祀 されている秋葉様の日本唯一のご真躰を安置されている秋葉総本殿三尺坊大権現の道場であるのである。
つーことで、とにかく、賽銭箱に100円をめでたく寄進して聖観音菩薩様にありがたいありがたいと感謝感激あめあられのお礼を申し上げたのである。
これで、当家の行く末は子々孫々に至るまで聖観音菩薩様の慈愛を受けて栄華繁栄を極めること間違い無しであるのである。
わはははははははははははははははわっはっはっはっはっはのはーっ。
いや、別に笑うこともありませんが。
本堂の左側にある蓮華堂であるのである。
蓮華の堂であるのである。
大書院である。
書院というのは、わが国で、寺院や武家の邸宅の居間兼書斎、書堂、書閣、学問所ということである。
まあ、要するにお勉強部屋てな意味であるわけである。
脚下照顧である。
禅語であるが、あれこれ文句を言う前に自分の足元つまりやってることを顧みなさいてな意味である。
でも、まあ、字義の通り、履物を揃えなさいてな意味合いはもちろんあるのである。
あたしは弓道をやっていたときに小笠原流の躾(しつけ)てなことで、この手のことを一挙手一投足にわたってあれこれとんでもなくうるさく言われたので「こりゃあ、あたしに向いてない、すぐやめよう」と思ったのであるが、初段を取るまで我慢してすぐやめたのである。
我慢は身体に悪いのである。
ううむ、脚下照顧がなんの意味もないのである。
Camera : RICOH GXR A12 28mm 写真サイト
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