気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年10月21日金曜日
可睡斎
可睡斎(かすいさい)である。
可睡斎は、静岡県袋井市久能にある曹洞宗の寺院である。
応永八年(1401年)創建で、開山は如仲天誾禅師(じょちゅうてんぎんぜんじ)である。
大本山永平寺(福井)・大本山總持寺(横浜)を両大本山とし、總持寺の直末寺院であるのである。
あたしの家にある、静岡県浜松市天竜区春野町に鎮座する秋葉山本宮秋葉神社の御札を納めてある祠の御札を頂きに、東京から東名高速ではるばるやってきたのである。
ううむ、文章が「ある」ばかりであるのであるのであるあるのである。
まあ、先代までは代々に渡って、律儀に数年に一度、この御札を頂きに秋葉山神社に来てたそうであるが、あたしゃ神も仏もない不信心であるので、可睡斎参拝自体が始めてであるのである。
だいたいがカスイサイと聞いて「なんだそりゃ、火災保険の一種かね」てなぐらい興味がなかったのである。
しかし、これはいかん、これではそのうち神罰が当たって我が家は破産滅亡すると反省して、秋葉山神社に御札を頂きに行くと知人の工務店のしゃちょーさんに話したらば、秋葉山ではもう御札を配布してなくて、この可睡斎にその分社があって、ここで御札を頂けるということであるのである。
可睡斎総門である。
この総門の額にもあるとおり、山号は萬松山(ばんしょうざん)である
本尊は聖観音である。
聖観音(しょうかんのん)は梵名アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラ (आर्यावलोकितेश्वर [aarya avalokitezvara]) は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊であるのである。
しかし、サンスクリットは出るのかね。
どれどれ。
おお、出る出る、ちゃんと読めるではありませんか。
江戸時代には「東海大僧録」として三河国・遠江国・駿河国・伊豆国の曹洞宗寺院を支配下に収め、関三刹と同等の権威を持つに至る。
遠州三山の1つでもあるのである。
遠州三山(えんしゅうさんざん)とは、この萬松山可睡斎 (曹洞宗)を始めとする、法多山尊永寺 (真言宗)、医王山油山寺 (真言宗)の静岡県袋井市にある3つの寺院のことであるのである。
旧遠江国(遠州)の三古刹を意味するのである。
可睡斎は春先のユリの花が咲く時期には大混雑するのであるが、参拝したときは時期はずれであるので、だーれもいないのである。
可睡斎境内御案内図である。
可睡斎本堂の左上に秋葉山本宮秋葉神社の秋葉総本殿三尺坊御真殿があるのである。
つまり、秋葉山神社の支店であるわけである。
総門を反対側から見るとこんな景色であるのである。
総門の向こうに門前町という名の数軒の商店があるのであるが、なにしろ時期はずれであるので休業してらっしゃるお店が多いので、閑散とした感じであるのである。
まあ、あたしゃ観光地のこーゆー風景がけっこう好きであるのである。
まあ、そんなことはともかく、どんどん参拝に行くのである。
右はお手洗いで左がお守りやお土産を売ってるお寺経営と思われる洗心閣というお店であるのである。
その奥の階段の上が可睡斎山門であるのである。
その山門からお店のおねーさんが降りてきて、お店に入っていったのである。
まあ、本日、この可睡斎で始めて出会った人間であるのである。
洗心閣であるのである。
なにしろ心が洗われる閣であるのである。
ううむ、洗われたいもんである。
Camera : RICOH GXR A12 28mm 写真サイト
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿