気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年10月3日月曜日
忍野八海・はっかいばしで少年がハヤ釣り少女は川の中
はっかいばしであるのである。
忍野八海の橋であるから、はっかいばしである。
そのまんまであるが、大変わかりやすいのである。
ごく新しい橋であるので、これも忍野村観光協会による演出であると思うのであるが、なかなか周囲の景色にハマっているのである。
そのはっかいばしの袂(たもと)に子供用の自転車が停めてあるのである。
なんてよろしい雰囲気の写真でありましょうや。
ああ、もう、あたしの脳波の周波数は限りなく低くなって、極楽の入り口を歩き始めているのである。
おそらく、これ、あたしの脳が子供時代の世界に戻るんだろうね。
誰でも極楽の少年時代を過ごすために生まれてくるのであるから、まあ、その辺がよければあとの人生は台無しでもだいたいよろしいのである。
橋の下では男の子がなんかやってるのである。
ううむ、ますます、あたしの脳は子供時代に戻って、βーエンドルフィンは限りなく放出されて天国極楽をさまよい歩いているのである。
一緒に来た女の子が、美しい清流の中を歩き回っているのである。
うううう、なんだこれは、映画の中の一場面のようではないか。
まるで、夢の中にいるようであるのである。
ああ、神はこの情景を撮らせるためにあたしをこの忍野村にお遣わしになったのであろうか。
ううむ、いまひとつかね。
男の子が何やらペットボトルを改造したようなものに小石を幾つか入れて、紐をつけて川に放り込もうとしているのである。
あたしが「それはいったい何をやってるんですか?」と子供に聞いたらば、「マグロを釣る」という返事である。
あたしが「ううむ????」とけげんな顔をしていたらば、「マグロの味のするハヤを釣るんだ」という説明をしてくれたのである。
まあ、これ、釣るというよりも捕るという方法であるわけであるが、まあ、釣りであるのである。
どうも、そのハヤがこの仕掛けに入るポイントがあるらしく、放り込んだ仕掛けを小枝で押し込んでいるのである。
それでも届かないらしく、さらに長い木の枝を持ってきて押し込んでいるのである。
あたしもこの年令のころにはこんな後ろ姿で川で魚を釣っていたのである。
ああ、あの日々は記憶の彼方へ薄れて、夢の中のみに存在する世界になったしまったのである。
「それで、どのくらいでハヤは釣れますか?」と聞いたら、「すぐ釣れる」という返事であったのであるが、なかなか釣れる様子が無いので、「それでは先にあっちの方の池を見てきてから帰りに寄りますので、頑張ってください」と言って、あっちの方へ歩き始めたのである。
付近の農家のおばさんがトウモロコシを野菜売り場に運ぶために橋を渡っていくのである。
女の子はまだ川の中をじゃぶじゃぶ歩いているのである。
何かの物語が始まるような美しい一瞬であるのである。
浮世の垢に穢(けが)れきったあたしの心もじゃぶじゃぶ洗われて純白になるのかならないのかうふん。
Camera : RICOH GXR A12 28mm 写真サイト
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