気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年10月5日水曜日
忍野八海・濁池はかき揚げそばで底抜池と出口池はスルー
来るときに出会った少年たちは橋の下でまだハヤ釣りをしているのである。
何匹釣れたんでしょうか。
「マグロアジのハヤはつれましたか?」と聞いたら、「入ったが小さいので逃がした」つーことである。
なかなか食べられる大きさのハヤを釣るのは難しそうであるが、少年たちは実に楽しそうであるのである。
ううむ、あたしもこの少年たちのように光の中でめくるめくようなあの日々に帰りたいもんであるが、もう何もかもが遅いのである。
意識だけがあの日々に戻って、涙が止めどなく溢れい出て、あたしの波動の周波数は限りなくθ(シータ)波に近づくのである。
θ波ってしかし、ううむ、気分ぶち壊しであるのである。
濁池(にごりいけ)であるのである。
忍野八海めぐり第6番目の霊場で守護神は阿那婆達多竜王(あなばたつだりゅうおう)である。
今は池に埋もれてないが石碑に「ひれならす竜の都のありさまをくみてしれとやにごる池水」との和歌が刻まれていたのであるが、定かではないのである。
水温は12 ℃で、湧水量は0.041 m³/秒で、面積は36 m²で、水素イオン濃度は6.5であるのである。
この水車小屋の向こうの池本荘の所有地にある池から濁池に大きな排水溝が空いており、そこからの排水の他に、濁池の湧水は池底から少しだけ湧き出ているのである。
さらに川に隣接し、部分的に濁ってはいるが、濁池という名称のわりには水は綺麗であるのである。
湧池の裏の方にこの忍野八海の案内図があるのであるが、この案内図をよーく見ても、どこにどの池があるのかよくわからないのである。
池本荘の前の池は名前も書いてないのでなんなのかわからんし、さらに底抜池(そこなしいけ)は、はんのき資料館の一番奥にある池で資料館(有料)に入場しなければ見る事ができないのである。
国指定の天然記念物の割には何がなんだかよくわからんのである。
出口池は駐車場の向こうであるので、今回はスルーであるのである。
まあ、だいたい見れたからいいのである。
つーことで、観光地に来たらみやげ物屋でメシを食わなければならないのが象源教の最も大事な教義であるので、厳かに追善昼飯供養を勤行するわけである。
他の宗派教派の皆さんも昼飯追善供養をなさっておられるのである。
ここはひとつ旅の恥はかき捨てということで、かき揚げそばであるのである。
オチがついたところで忍野八海観光の巻は大団円であるのである。
Camera : RICOH GXR A12 28mm 写真サイト
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