気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年10月17日月曜日
北口本宮冨士浅間神社・諏訪神社に参拝で締めは富士守稲荷社
紙四手(かみしで)を挟んだ注連縄(しめなわ)を巻いた巨木は、北口本宮冨士浅間神社御神木・夫婦桧(めおとひのき)である。
この写真ではサイズ圧縮の関係で見にくいかもしれないのであるが、2つの石灯籠の向こうの夫婦檜の根元から赤のタンクトップの男の子とピンクの横縞のシャツの女の子がよじ登っているのである。
大人が御神木によじ登ったら立ちどころに神罰が当たるところであるが、子供はどんどんよじ登ってもとく神罰が当たることもなく大喜びであるのである。
左が三殿社で右が三神社であるのである。
もちろん、備え付けの箱に100円ずつ入れて、どんどんお礼と感謝をするのである。
何事も神様には感謝、お礼であるのである。
ありがたいありがたいであるのである。
やっといて損はないのである。
神様に向かって損も得もないのである。
神様はスーパーのバーゲン売り場ではないのである。
さて、諏訪神社であるのである。
当地の産土神であり、浅間神社勧請前から諏訪森に鎮座していたそうであるが、あたしが実際に見たわけでもないので、聞きかじりであるのである。
産土神(うぶすながみ、うぶしなのかみ、うぶのかみ)とは生まれた土地を領有、守護する神のことである。
あるいは本貫(先祖の発祥地)に祀られている神であり、単に産土とも言うのである。
氏神と混同されることもあるのであるが、氏神、氏子の関係が血縁集団を基にして成立しているのに対し、産土神は地縁集団としての信仰意識に基づくという違いがあるのである。
氏神、氏子にまで食いついているとキリがないので、勝手に調べて納得していただきたいのである。
主祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀賣神(やさかとめのかみ)である。
建御名方神は、『古事記』の葦原中国平定の段において、大国主の子として登場する神で、大国主と沼河比売(奴奈川姫)の間の子であるという伝承が各地に残り、妻は八坂刀売神とされているのであるのである。
八坂刀売神は神道の女神で、建御名方神の妃神で、諏訪大社他、各地の諏訪神社などに祀られており、記紀神話には見られない神であり、諏訪固有の神とも考えられるのである
北口本宮冨士浅間神社の祭礼として知られる「吉田の火祭り」は、もともとはこの諏訪神社の祭礼だったのであるが、浅間神社の隆盛にともない共同で行なわれるようになり、さらに富士講の影響などで富士山の山じまいの要素が加わったのである。
それに伴い、火祭りの起源の伝承も「諏訪神が戦いのさい松明を燃やした故事」から、「木花開耶姫命が燃えさかる炎のなか無事出産した故事」に変遷されてきたという話であるのである。
つーことであるので、もちろん、平等に賽銭箱と言う名のご利益代金徴収箱に他の神様同様に大枚100円を寄進してありがたいありがたいを連呼したのである。
風神社であるのである。
御祭神は級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長津姫命(しなつひめのみこと)であるのである。
志那津比古命は男神、志那津比売命は女神であり、ともに風の神であるのである。
だから、なんだと言われても風の神であるのである。
左が下諏訪社で右が子安社である。
まあ、これも、怒涛の100円投入でありがたいの連呼であるのである。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるのである。
神様に向かって下手な鉄砲であるのである。
そのうち神様の誰かに怒られるのである。
富士守稲荷社であるのである。
御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)であるのである。
名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。
京都・伏見稲荷大社の主祭神になっていて、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されており、別名をミケツカミ(御饌津神)というのであるが、これがキツネの古名である「ケツ」と混同し同一視され、守護獣が稲荷の使いとしてキツネの姿をしていることがあるわけである。
もちろん、これでもかと拝み倒したしのはいうまでもないことであるのである。
つーことで、北口本宮冨士浅間神社の末社摂社までことごとく拝み倒したので、とっとと帰るのである。
Camera : RICOH GXR A12 28mm 写真サイト
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