気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年10月2日日曜日
忍野八海・銚子池で調子も上々ううう
湧池の前の水車小屋からの流れである。
川の水は忍野村の大事な観光資源であるので、さすがにゴミひとつない綺麗さであるのである。
こりゃ、それなりにお掃除も大変なんだろうなと思うのであるが、お掃除してる人はおられないのである。
まあ、日時を決めて、観光協会と言うなの商店会の皆さんでいっせいにおやりになるのかもしれないのである。
忍野八海は観光化による自然破壊がいろいろ取りざたされているわけであるが、管理された清掃作業と人工的演出は雪と届いているのである。
すでに池本荘による掘削の人工池である中池が忍野八海の中心になっているし、この状況は本来の忍野八海からはどんどん遠ざかるのかもしれないのであるが、ううむ、難しい所であるなあ。
その流れを辿っていくと銚子池があるのである。
銚子池(ちょうしいけ)の池底における湧水状態は間欠的で一時砂を上げて湧き、しばらく休みまた湧くのである。
また、名前の由来は長柄の銚子に似ていることからきているそうである。
銚子とは酒を入れて杯につぐ長い柄のついた器で諸口(もろぐち)と片口(かたくち)があるもの、あるいは酒を入れ、燗をするための瓶状の容器、つまり徳利(とくり)のことである。
まあ、この場合は前者の長柄の酒を入れる器であるわけであるが、この池の形からはどこが長柄でどこが器で諸口なのか片口なのかよくわからないのである。
まあ、これ、見る方向の問題もあるわけであるが、どこから見ると銚子に見えるのか定かではないのである。
立て札の写真を見ると、崩落を防ぐ工事などで銚子池本来の昔の形とは違ってきているのは当然であるのである。
銚子池は忍野八海めぐり第4の霊場で守護神は和脩吉竜王(わしゅきちりゅうおう)であるのである。
また、石碑に「くめばこそ銚子の池もさはぐらんもとより水に波のある川」との和歌が刻まれているそうであるが、どこに石碑があるのかはわっからなかったのである。
水温は13.5 ℃で、湧水量は0.02 m³/秒で、面積は79 m²で、水素イオン濃度は7.2で、水深は3 mであるのである。
まあ、とにもかくにも、忍野八海はどの池も色がなんともいいのである。
Camera : RICOH GXR A12 28mm
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