気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年9月13日火曜日
三嶋大社の厳島神社で市杵島姫命を大祓祝詞波動砲で言祝ぎ霊写
巫女さんが赤ちゃんのお宮参りの皆さんを連れて本殿へ向かうのである。
おばあちゃんが赤ちゃんをお抱きになってる様子である。
お宮参りは、その土地の守り神である産土神(うぶすながみ)に赤ちゃんの誕生を報告し、健やかな成長を願う行事であるのである。
まあ、昔は地元の氏神さまに参拝して新しい氏子(うじこ)として神さまの祝福をうける行事とお産の忌明けの儀式の意味合いもあったのであるが、現在では一般的に無事に生まれた感謝と健やかな成長を願うてな行事となっているので、とくに地元の神社てなこともなくて、有名神社で行われることも多いのであるなあ。
源頼朝、北条政子の腰掛石の立て札の後ろは絵馬の奉納場所になっているのであるのである。
絵馬の内容は、ほとんどが高校の合格祈願であるのである。
まあ、中学までは基本的に義務教育であるので、多くの子供たちにとっては高校受験がのっぴきならない最初の人生の試練となるわけである。
これが「困ったときの神頼み」の始まりであるわけであるが、この神頼みがどなたも歳を重ねるごとに増えてくるのが人生であるのである。
あたしら人生の後半組は年がら年中神頼みであるのである。
三嶋大社名物の神池の中央辺りに粋な橋が掛かっていて黒い傘の粋な奥さんがハトの皆さんを踏まないように渡ってくるのである。
ううむ、絵馬に「なんとかこの粋な奥さんとお付き合いできないもんでしょうか」と書いて奉納したいところであるが、確実に神罰が当たるのでじっとがまんしたのである。
橋の奥には何やら赤い社(やしろ)が見えるのである。
橋の手前に立て札が立っているので見ると、厳島神社であるのである。
祭神は厳島神社の祭神である宗像三神の一柱の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)であるのである。
いうまでもなくあたしの守り神であるのである。
市杵島姫命は天照大御神の御子神(みこがみ)であるのである。
ううむ、これは気合いを入れて、100円を払ってこれでもかどうだまいったろうというぐらい拝み倒さなくてはならないのである。
こーなったら祝詞の波動砲である大祓祝詞(おおはらえのことば)を一発かますのである。
たーかーまーのーはーらーにーかーむーづーまーりーまーすーすーめーらーがーむーつーかーむーろーぎーかーむーろーぎーのーみーこーとーもーちーてーやーほーよーろーづーのーかーみーたーちーをーかーむーつーどーへーにーつーどーへーたーまーひーかーむーはーかーりーにーはーかーりーたーまーひーううううううううううああああああああぐあああああああっめんどくせえええええええっ以下省略。
大祓祝詞を中途半端にかましただけでも、さすがに祝詞の波動砲であるので、すっかり邪気が祓われて、神池の周囲はこのように爽やかな涼風に包まれて、おばあさまの足取りも実に軽やかであるのである。
神池のハトの皆さんもこのように大祓祝詞の波動砲で波動が下がり、気持ちの良いクルックーを唱えているのである。
ううむ、唱えるは変かね。
Camera : RICOH GXR A12 28mm
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