気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年9月4日日曜日
修善寺本堂は達磨和尚もあっぷっぷ
修善寺の本堂にカップルがお参りするのであたしもいっしょにお参りするのである。
いやー、いいね、なんともめでたい光景であるのである。
ううむ、とくにネタがないので、てきとーなキャプションであるのである。
本堂の右脇には、石の達磨和尚がでんとお座りであるのである。
まあ、べつに座っているからどうってことでもないのであるが、なかなか絵になる光景であるのである。
寺額に朱色の修善寺の文字も鮮やかにあたしをお迎えであるのである。
本堂の中からは我が師空海の膨大な霊気が溢れでて、あたしの波動をいやがうえにもぴっぴろぴーするのである。
さらにネタがないのでさらにいいかげんなキャプションであるのである。
期待して読んでる方はたまったもんじゃないのである。
もーしわけありません、わたくしおつむがぷっぷくぷーであるのであります。
賽銭箱に清水の舞台からダイビングで大枚100円を投げ込んで浄財となし、修善寺のますますの発展を祈念して修善寺の本尊である大日如来の真言を胎蔵界ノウマクサンマンダボダナンアビラウンケン金剛界オンバザラダドバンを、ともに3回わめいたのである。
まあ、べつに3回に意味はないのであるが、2回じゃ少ない感じだし、4回じゃ多すぎるてな感じなので3回であるのである。
鐘楼も緑とコラボしてみごとな情景となり、あたしの心はさらに澄み渡り、我が師空海の創建を心から言祝ぐ言霊を厳(おごそ)かに唱えるのである。
♪いやんばかーんそこはあそこなのうほほいのほい。
しまいにゃバチが当たるのである。
本堂の左脇にお堂があって、その入口に何やらいろいろな皆さんがお座りであるのである。
得意の霊写で粋な写真を撮るのである。
ううむ、いいね。
Camera : RICOH GXR A12 28mm
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