気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年8月11日木曜日
土肥港で極楽往生桃源郷
小土肥(おどい)浜から地方道の17号線を10分ほど南に下ると土肥港(といこう)に着くのである。
伊豆漁業共同組合土肥支所の直売所の前の駐車場に車を停めて土肥港(といこう)を霊能シャッターで除霊してみるのである。
漁協直売所の目の前はこの景色であるのである。
小土肥とは違う意味で泣けるのである。
こんな風景を写真に撮ることができて、もう、あたしゃこの先どーなってもいいてなぐらいの情景であるのである。
なーるほど、今回は大神様のお授けでこれを撮りに来たわけであるなあと、いきなりの西伊豆大旅行の目的を納得したわけである。
左にパンしてみると、土肥港であるのである。
停泊している漁船もなんつーのか、こう、いいようのないありがたさで、こんな情景があるもんだろうか、ああ、こんな海の景色が見れてあたしのあそこもここも、もうこの世に思い残すことはないつーぐらいの極楽往生桃源郷であるのである。
さらに左に少しずつパンして、じっくりと港を堪能するのである。
おいしいものはすこーしずつ味わうわけである。
漁協の作業場までありがたくで手を合わせたくなるような港の匂いが香気芬々と漂い、あたしを天国の階段を登らせるのである。
天国の階段のその先はあの世極楽の世界であるのである。
無粋な黄色と黒の縞々の車止めさえ、埠頭と海の色合いに溶け込んで、これで無ければ成立しない美の世界を構築しているのである。
台風がまだそのへんに居るというのにこの海の凪と空であるのである。
象師匠の行くところ、神は総てを成就なされてお待ちになられているのである。
うううう、たまらん、なんという神の一瞬の思し召しであろうか。
ああ、神は何ゆえにこのように美しき風景を創造なされたのでありましょうや。
あまりの感動にしょんべんを漏らしそうである。
ううむ、神の思し召しのあとにしょんべんってしかし。
Camera : RICOH GXR A12 28mm
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