気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年8月9日火曜日
小土肥浜の思い出は大脳皮質で海馬も号泣
ううむ、砂利だらけだった海岸が綺麗な砂浜になってる。
砂をどこからか運んできて、むりやり人工の砂浜にしたんだろうね。
砂浜の後方には階段状にコンクリートが打ってあって、なんだか湘南の海水浴場まがいに整備されてるじゃありませんか。
こっちも階段状にコンクリートが打ってあって、小土肥浜の昔の面影はどこにも残ってないではありませんか。
なんつーことをするんでしょうか。
といってもあたしのわがまま勝手な都合であるが、しかし、まあ、地元の人にしてみればこの方が海水浴客を呼べるってーことであるのはわかるが、ああ、あたしの郷愁はいったいどーしてくれるんでしょうか。
これこれ、この川ね、それにこの砂利ね、ああ、ほんのすこーし昔の雰囲気が残ってるのね。
でも、向こうの堤防みたいのはいらないのである。
何にもいらないのである。
砂利と海だけが欲しいのである。
足が痛くて海に入るのが大変な砂利浜が欲しいのである。
太古の昔から受け継いだまんまの砂利浜が欲しいのである。
うううう、いったいなんだこりゃ、こんな無粋(ぶすい)なものを見ていい気持ちになるやつがどこに居るんだ。
なんでもかんでも近代的にすればいいってもんじゃないのである。
20年の歳月はいかんともしがたく、光陰矢のごとく次節は移り、あたしの記憶の小土肥浜は山のあなたの空遠く幸い住むと人がいうのかどうなのか霞んでボケて雲散霧消の仕儀とあいなり、涙は止めようもなく溢れいづるのであります。
まあ、泣いててもしょーがないので、砂浜の方を見てみると、なんだか黄色いものが立ってるのである。
なんだろうと思って、CX1で7.1倍の望遠で撮ってみたのである。
ライフセーバーのおにーさんとおねーさんである。
一人のおにーさんは台風の余波の強風を避けて砂に埋まってるのである。
こんな、まだ台風がその辺に居る日にこの浜辺に来るのはあたしぐらいなもんであるので、さすがに夏休みだというのに子供さえもいないので、ライフセーバーの皆さんはまったくやることがないのである。
でも、お仕事なので、ちゃんと見張ってるのである。
えらいのである。
まあ、あたしが泳ぎに来てた頃は、だーれもいなかったので、もちろん溺れた人は自己責任であったのであるが、まあ、ライフセーバーといい、綺麗な砂浜といい、波除けのテトラといい、防波堤といい、海水浴場としての安全に配慮した現在の方がよろしいのは当たり前であるのである。
でも、あたしは溺れても助けてくれなくていいから、原始のままの砂利だらけの小土肥浜を返して欲しいのである。
Camera : RICOH GXR A12 28mm 7枚目 RICOH CX1
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