気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年3月10日木曜日
高幡不動尊|仁王門・法輪閣
真言宗智山派別格本山高幡不動尊金剛寺であるのである。
まあ、この高幡不動尊は、霊能派写真家象師匠が身延山久遠寺と並んでその霊気がお好きなお寺さんであるのである。
まあ、とにかくこの GR D Ⅲ でどんな霊気が撮れるのかということで、矢も盾もたまらず、仕事をほっぽり出して2時間もかけて高幡不動尊に来たのである。
それで、車のお祓いといっしょの駐車場にポルシェターボと呼んでいるあたしの愛車ダイハツアトレーを止めて、そこから歩いて入り口の仁王門の風景がこんなであるのである。
ううむ、ベタである。
絵葉書みたいな写真になってしまったのである。
まあ、お寺なんてもんはテレビのドキュメンタリーを含めてあらゆるメディアに露出しているので、いまさら面白おかしいこともないのである。
しかし、まあ、さすがにGR D Ⅲはこのとおりの写りであるのである。
オートでおまかせでこの写りである。
いいねどうも、色合いがネ、なんとも言えないよね。
あたしゃ、コダックブルーが大っきらいであるので、この抑えめの空の青もよろしいのである。
なんか普通に写りすぎて、写真が普通になってしまうのである。
EXILIMではなんとかしないととんでもない写真になるので、四苦八苦でアングルなんかも工夫するのであるが、GR D Ⅲはなんにもしなくてもオートでこの写りであるから、おもいっきりのてきとーシャッターになるのである。
仁王門から高幡不動の駅へ向かう参道である。
ご夫婦と思われるお二人のシルエットがよろしいじゃございませんか。
意図しすぎっちゃしすぎでありますが、あたしゃべつ土門先生の弟子てなもんでもありませんので、あたしの写真は意図だらけであるのである。
仁王門の隣の枝垂れ桜(しだれざくら)もまだ咲いていないのであるが、まあ、それでもそれなりに風情があるのである。
宝輪閣であるのである。
宝輪閣ってなんだ?と聞かれても、あたしゃ興味がなんにもないので、わっからないのである。
まあ、見たところ、祈祷の受付なんてことをなさっておられる建物であるのでいわゆるお札所であるのである。
節分には上の回廊の欄干から芸能人やお相撲さんなんかが豆を撒いたりするのがテレビのニュースになったりするんじゃないでしょうか。
まあ、とにかく参拝するには心身を浄めなければいけないので、手を洗って、口をゆすぐわけである。
手水舎に寄ってみるとこんなであるのである。
先日、友人のプロカメラマンに「写真はアングルで決まってしまうので、工夫して撮るように」といらぬご指導をいただいたので、このベタ満載に反省して、アングルを工夫して撮ってみるのである。
ううむ、なるほど、少しはましであるかもしれないのである。
やっぱりお寺はこの線香の煙をかぶるのが我々一般凡人衆生の参拝の習いであるのである。
線香の煙をかぶらないとなんとなく参拝に気分にならないのである。
ううむ、カメラまかせでどんどん行くのである。
てなことやってるうちに、日輪は傾いて、法輪をかすめて西の空へ沈まんとなされておられるので、東向きに造られている高幡不動尊の風は、まだ3月だというのに肌を突き刺して、何もないことのありがたみと仏の慈愛を思い出させるのである。
銅板葺き屋根の緑青(ろくしょう)の趣きがなんともいえない色じゃございませんか。
Ⅲであるのである。
いいね。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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