神気の通り道には曲がり角があるのである。
裏口に行くか表口に分かれるかは、あなたの神の思し召し次第であるのである。
それもこれもこの世に生をうけた瞬間から決まっているのであるが、どちらに行きたいかはあなたの好き嫌いで決まるわけである。
この好き嫌いに理由はないのである。
それは、その好き嫌いこそが神の思し召しであるからである。
人の生は理論で決定されるのではなく、この神の思し召しである好き嫌いで決定されるのである。
神気の通り道の曲がり角には、好き嫌いを決定する神の意思が厳然と存在するのである。
つーことで、ごたくはともかく、仕事のついでの某駅のホームの店の裏口である。
まるで、往年のモノクロームのイタリア映画の1シーンのような情景を映し出している見事な1枚である。
ああ、神は何ゆえにあたしにこのような才能をお与えになったのでありましょうか。
え?やかましい?
ハイハイ。
カルディナーレが向こうから歩いてきそうである。
時はたゆまなく行き過ぎ、思い出は夢のかなたに霞んで、カルディナーレはお亡くなりになってしまっているので、歩いてきたら心霊写真であるのである。
え?生きてるの?
Camera : CASIO EXILIM EX Z-330
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