気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年3月23日水曜日
出口
某ショッピングセンターの駐車場の出口であるのである。
この色合がまたなんともね、才能かね。
なにしろ、忙しくてわざわざ写真を撮りに行くひまなんかないので、通りがかりのなんでもない風景をあたしの霊能力で無理やり芸術にしようてな企画であるので、もう、敏感にその瞬間瞬間の霊気神気を感じてシャッターを押すわけである。
この写真なんかは典型で、これ、単なる駐車場出口であるので、気合を入れずに普通に撮ったら意味のわからない写真になるわけである。
まあ、ものごとはなんでも裂帛(れっぱく)の気合一発であるのである。
言ってる本人も意味がわからないのである。
それで、そこを出るとゲームセンターや飲食店なんかがある、バックヤードに出るのである。
中年のご夫婦らしいお二人が、左のパチンコ屋さんについてなんかお話しながら元気に歩いて行かれるのである。
このなにげないシルエットから語りかけてくるものが写真の醍醐味であるわけである。
え?ぜんぜん言ってることがわからない?
あたしにだってわかりませんよ。
左奥の方に自転車置場があるので寄ってみるのである。
うまい!と思わず言いたくなるほどうまく撮れてるベタな写真であるのである。
右上に換気口を配して見事な構図構成であるのである。
まあ、天才だからしょーがないのである。
え?そうは思わない?
しょーがねーなシロートはめんどくさくてよー。
シロートが普通に撮ると次の写真になるのである。
このように気合もなんにもない間の抜けたくだらない写真になるわけである。
これを気合一発で霊気神気を注入してベタな写真にするのが霊能力であるわけである。
まあ、平たく言うとアングルとF値とシャッター速度とISO感度であるわけであるが、それをいっちゃあおしまいだーね。
つーことで、この自転車やバイクに乗ってきた皆さんはスロットなんかをしてお楽しみであるわけである。
それでこの残された自転車やバイクの皆さんは、ご主人様がお帰りになるまでじっとここでお待ちになるわけである。
まあ、大儲けしてご機嫌のご主人も様もすっからかんになって意気消沈して出てくるご主人様もおられるわけであるが、自転車の皆さんはじーっとお待ちになるわけである。
どうだ!という一枚であるのである。
この通路の飲食店のバックヤードであるのである。
業務用空調システムなんかの室外機であるわけである。
今回の地震でもよーくわかるとおり、これがないと現代生活は成り立たないのである。
現代のリアリズムであるわけである。
まあ、神気霊気というのは意識に上らない脳の奥で醸成される想念の凝縮を見るということであるのである。
それが生活であり、リアリズムであるわけである。
いってることがどんどん難解になるのであるが、お筆先であるのでしょーがないのである。
つーことで最期の一枚であるのである。
さらにリアリズムであるのである。
そのバックヤードに並んでいたお掃除用具であるのである。
これ以上のリアリズムはないのである。
本日の一枚はもちろんこれであるのである。
掃除というのは人間としての最高の前頭葉の働きのひとつであるのである。
人間以外の生命体が「綺麗にするために」あるいは「綺麗に見せるために」自分の周囲を掃除をするということはないのである。
たとえば動物が巣穴の中を片付けたりするのは、居場所を確保するか、出産あるいは子育てに便利なように本能で整理するだけであるのである。
「綺麗に見えるようにする」ためや他者への気遣いのために掃除をするというのは、人間の巨大に発達した前頭葉のなせる人間だけの行いであり、その他の動物とは一線を画す高度な機能であるのである。
え?掃除は大っきらいだ?あたしだって大っきらいですよ。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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