気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2013年2月22日金曜日
タイ王国霊能紀行⑮・バンコクのラチャダムリ通りの神々
まあ、なんだ、UPするのに1ヶ月以上もかかったタイネタもそろそろ終わりであるのである。
バンコクのラチャダムリ通り周辺を表から裏までこれでもかと歩きまわったので、どこに何があるかよーくお分かりになって、あたしはラチャダムリ通りの通になってしまったわけである。
だからといってそれで何か得なことがあるかつーと、何もないわけである。
もともとあたしは街の普通の生活を観て歩くのが趣味っちゃ趣味であったのである。
ごくお若い頃にごく短い期間であるが、あたしも人並みにサラリーマンをなさっていたことがあるのである。
それで、仕事関係でお出かけになると、仕事よりもその駅の周辺を歩きまわって街の皆さんの生活の風景情景を鑑賞して、良さげな喫茶店でコーヒーを飲んだりするのをこよなくお楽しみなっていたのである。
まあ、これは仕事のストレスを街歩きのお楽しみで相殺してたてなこともあるのかもしれないのであるが、まあ、散歩散策のお楽しみを覚えたのはその時であるのは間違いないと思うわけである。
昨今のテレビ番組の途中下車だのなんとか散歩だのモヤサマだのの先取りであったわけである。
まあ、その趣味が講じて、しまいには喫茶店を初めてしまったコーヒー好きも、そのときの縁で趣味のひとつになったことは間違いないのである。
人生の流れはまさに縁であるわけである。
仏教でいう縁起(因縁生起)であるのである。
すべての事象は総ての事象と直接間接にそれぞれ関わることにより、なるべくしてなるわけである。
まあ、それで、その散歩散策の目的は山や樹木や草木を愛でるてなことではないのである。
人間の生活が織りなす情景風景を観て歩く散歩散策であるのである。
そこに、さらに、猫の写真を撮るてなことが始まりで、カメラ写真動画のお楽しみが加わったわけである。
それが世界中の街の人間の生活風景情景人生模様てなことに広がると、さらにお楽しみは最高潮になるのはご理解いただけると思うのである。
Camera:LUMIX DMC-FH6
写真でポン