気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年11月14日月曜日
上野アメ横・たる松さんで天麩羅定食昼飯追善供養大祈祷
まあ、現在のアメ横には若いカップルやお子様をターゲットにしたこのてのエスニックだの中華だの韓国だののお店がたーくさんあるのである。
その分、昔ながらのアメ横風景の鮮魚などの海産物や乾物、菓子などの食品物販の店が減っているわけである。
まあ、それはそれとして、それば混ざり合って現在のアメ横の雰囲気を構成しているわけであるので、日本文化と異文化のコラボということでアメ横を理解するのが正しい物見遊山のありかたであるわけである。
てなことをごちゃごちゃと言ってる場合じゃないので、とにかくおやつ時間になってしまった昼飯を食わなければならないので、このたる松屋さんがいかにもアメ横らしくてよろしい雰囲気なので入って見るわけである。
2階に上がると、先客の学生さんのグループが数人おられるのである。
昼時からはずれた時間であるが、だーれもいない食堂はおそろしいので、とにかく誰かいれば安心して供養の膳をお召し上がりになれるのである。
食べ物というのは総てが生きとし生けるものをお殺生なされて、それをありがたく頂くのであるから、常に食事は追善供養であるのである。
日本の民間信仰では死者・祖先に対する追善供養のことを特に供養ということが多く、これから派生して仏教と関係なく死者への対応という意味で広く供養と呼ぶこともあり、また動物等に対する供養、さらには針供養のように生き物でない道具等に対する供養もあるのであるのである。
まあ、てなことはともかく、あたしはとにかく飯を食う事には命がけであるので、メニューをこれでもかと精査して、なにしろ精査っつーぐらいだから、これでもかとためつすがめつ睨み倒して、どれにしようか悩みまくって、まあ、表の看板に「お食事天麩羅たる松」と書いてあったので結局、天麩羅定食を注文したのである。
先客の学生さんたちは大学の音楽サークルの打ち上げらしいのである。
アメ横のどこかで行われたイベントのあとの食事会らしく大盛り上がりであるのである。
もう、3時過ぎというのにあたしの後からもお客さんがどんどん入ってくるので、女将さんは大忙しであるのである。
とりあえず水が出てきたのでそれ飲んで天麩羅定食の登場をお楽しみに待つのである。
つーことで、出てきたお待ちかねの天麩羅定食であるのである。
ううむ、文章が硬いな。
Camera : RICOH CX1 写真サイト
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