気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年11月9日水曜日
可睡斎・門前町の瀬川屋さんでねむるべし
可睡斎の山門を出て外から改めて見てみると、看板に日本一の大東司トイレてなことがかいてあるのである。
東司(とうす)というのは、厠(かわや)を守る神の名ということであるのである。
厠というのはもちろんトイレのことである。
その厠を守る神はもちろん烏枢沙摩明王であるのである。
烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう、Ucchuṣma)は、密教における明王の一尊であり、天台密教では五大明王の一尊である。
「烏芻沙摩」「烏瑟娑摩」「烏枢沙摩」とも表記されるのであるのである。
その日本一大きな仏像が可睡斎にあるわけであるが、真言は「オン・シュリ・マリ・ママリ・マリ・シュリ・ソワカ」であるのである。
烏枢沙摩明王は世の中の不浄成るものを払う明王つーことである。
まあ、トイレが不浄という考え自体が問題であるとは思うが、まあ、とにかく古来より民間では不浄よけの神様として寺院などの手洗い所に祀られ厠の守護神とされているわけである。
ちなみにトイレのマックス敬語は御不浄であるのである。
まあ、つまり、出したものを食ったりしてはまずいので、その臭いを嫌悪するように人間の臭覚ができているので、トイレは嫌な場所、汚い場所、不浄な場所、つまり御不浄てなことになっているわけであるが、フンコロガシにとってはその臭いも含めて好きなものの第一位であるのであるから、フンコロガシにとってはトイレは「御不浄」ではなく「御清浄」つーことになるわけである。。
おなじものがまったくちがうものに見えるいい例であるわけである。
だから、人間でもトイレが大好きという、多趣味な方も多々おられるのはご存知の通りであるのである
まあ、トイレ談義はともかく、可睡斎の門前町である。
まあ、なかなか趣きのあるいい写真であるが、可睡斎の売り物の百合や牡丹の時期ではないので、通りにはひとっこひとりいないのである。
写真ブログであるので、ゲージュツして見るわけであるが、このお店はお休みで、閉店ガラガラであるのである。
名物出世ぼたん餅瀬川屋さんであるのである。
でも、名物出世ぼたん餅は牡丹の時期ではないのでどこにもなくて、店頭にあるのは可睡斎名物ねむるべしであるのである。
こののれんにも可睡斎名物出世ぼたん餅と書いてあるのであるが、可睡斎名物出世ぼたん餅を売って頂けるようすはないのである。
店の奥にもぼたん餅瀬川屋と書いたのれんが下がってるのであるが、やっぱり店のどこにもぼたん餅はないのである。
まあ、ないものねだりをしてもしょーがないので、出てきた瀬川屋さんの女将(おかみ)さんに「この可睡斎名物ねむるべしを下さい」といって、ねむるべしを買ったのであるが、べつにねむくないのでねむらないのである。
それで、昼時であるので、女将さんに「食事の出来る店はありませんか?」とお聞きしたらば「この先にメロンという喫茶店があるから、そこで食事ができますよ」というご返事であるので、メロンで昼飯追善大供養を修行することにしたのである。
なにしろ可睡斎でメロンであるのである。
それで、瀬川屋さんの目の前に何やら両サイドに観音様がお立ちになってるお堂があるのである。
東陽軒である。
ラーメン屋ではないのである。
この東陽軒が可睡斎の始まりであるつーことがこの看板に書いてあるのであるので、お好きな方はよーく読んで納得して可睡斎マニアになっていただきたいわけである。
ううむ、どーでもいい、文章が多すぎるな。
Camera : RICOH GXR A12 28mm 写真サイト
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