気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年11月4日金曜日
可睡斎・位牌堂で象師匠も象さんこんにちは
本堂の向かって左側には位牌堂があるのである。
まあ、位牌堂だけに位牌がいっぱいあるお堂であるわけである。
ううう、だめだ、ゲーハー防止対策の青色赤色ダイオード混合植物生育用LEDライトで頭が痛い。
しかし、こんなことしてあたしの脳みそは大丈夫なんでしょうか。
まあ、とにもかくにも位牌堂の入り口の両サイドには茶色と青色の象さんがおられるのである。
まあ、神社で言うと狛犬さんにあたるんでしょうか。
さすがに象師匠だけに象に縁があるわけである。
得意のてきとーな言葉の羅列である。
右側の茶色の象さんである。
パオーであるのである。
左側の青色の象さんであるのである。
これもパオーであるのである。
何がパオーかわからんのであるが、まあ、そこはそれ神のお告げであるので、ありがたくパオーであるのである。
さて、可睡斎の由緒はどんなんなーとゆーと、これが、11代目の住職仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は、幼い徳川家康さんとその父を戦乱の中から救い出しお匿(かくま)いしましたのである。
その後、浜松城主になられた徳川家康さんは、親しくkおの仙麟等膳和尚を招いて旧恩を謝し、その席上であろうことかコクリコクリと無心にいねむりをする和尚を見て徳川家康はにっこりせられ「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚、眠るべし」と申されましたのである。
それ以来仙麟等膳和尚は「可睡和尚(かすいおしょう)」と称せられ、後に寺号も東陽軒から「可睡齋」と改められましたのである。
また、仙麟等膳和尚の時代、徳川家康公の帰依を受けて、天正11年(1583年)に東海4ケ国(駿河、遠江、三河、伊豆[1部])の僧録司となりましたのである。
僧録(そうろく)とは、中世以後僧侶の登録・住持の任免などの人事を統括した役職であるのである。
つーことを可睡斎の由緒ではおっしゃられているのであるが、可睡斎の可睡とは寝てもいいよとゆーことだったのである。
おどろいたねしかし。
まあ、可睡斎の斎は斎場つーことであるから、儀式を行う場所であり、葬儀を執り行う場所であったわけである。
Camera : RICOH GXR A12 28mm 写真サイト
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