気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2013年8月3日土曜日
川崎大師仲見世のだるま
川崎大師のだるまである。
まあ、川崎大師の仲見世にはだるま屋さんがたーくさんあるのである。
まあ、だるま屋さんが何軒あるかは数えてこなかったのであるが、まあ、とにかくたーくさんあるのである。
だから、川崎大師の正しいおみやげとしては、とんとこ飴とだるまてなとかもしれないのであるが、まあ、だるまを買うとかさばるので、その後にどこかに回る予定のある人は小さめのを買って、うちに帰って、片方に目を入れて、目標が達成できたら黒々とぐるぐる書き込んで「あー、さすがに川崎大師のだるまはご利益満点であるなあ、これで、おいらの将来も大安定ではありませんか、来年も是非、川崎大師のだるまを買っちゃうもんねー」と大満足していただきいもんであるが、あたしゃ買わないもんねー。
ううむ、どうも、このごろ展開が雑ね。
川崎大師のだるまは越谷だるまてな、埼玉県越谷市で生産されているだるまで、「武州だるま」とも呼ばれるだるまであるのである。
越谷だるまは、江戸時代の享保年間(1716~1736年)に、間久里の「だる吉」という人形師が、従来あった「起き上がり小法師」という玩具に座禅を組んだ達磨大師を描いたのが始まりといわれ、他に比べて「色白」「鼻高」「福福しい」という特徴があり、川崎大師の他に柴又帝釈天など関東一円をはじめ、全国に広く出荷されているのであるのである。
わはは、だる吉であるのである。
だるまだけにだる吉であるのは実にわかりやすいわけであるが、江戸時代にだる吉であるから、まあ、おしゃれっちゃおしゃれかもしれないのである。
これがだる吉でなくるま吉だと意味がわからなくなるのでやっぱりだる吉でよろしいわけであるのである。
そいでもって、越谷市だるまは越谷だるま組合の越谷市の7軒、さらにさいたま市(岩槻区)1軒、春日部市1軒により、年間約40万個のだるまが生産されているそーであるが、そのほとんどが手作業によるそーであるのであるが、あたしの知ったこっちゃないのである。
ううう、めんどくさなって、最後がやっぱり雑になってしまったじゃないかよねえあなた。
しかし、なんである、興味のないネタで尺を埋めるのはこれ、艱難辛苦であるのであるが、まあ、ぐだぐだ言ってるうちに埋まったかもしれないので、このへんでいいかげんにしなさいっ、とツッコミを入れて、ぐだぐだゆーとりますがお時間であるのである。
困ったねどうも。
Camera:LUMIX DMC-FH6
写真でポン